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信条・Statement of Faith
         
Mohonk Preserve@NY Oct. 2013
♪Today's Sharing♪

Nov. 2013

聖書のことばを通して
生活のなかで示されたことや
インスピレーションが
与えられたことを一言

防災訓練 火の中水の中 母のスマホデビュー JFKの亡くなった日に
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Nov. 23 13 JFKの亡くなった日に

 「主はいわわれる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。 その時、あなたがたはわたしに呼ばわり、来て、わたしに祈る。わたしはあなたがたの祈を聞く。」  エレミヤ書29章11-12節


 1963年11月22日といえば、J.F. ケネディ元大統領の暗殺された日、ここ数日TVでは計らずもその娘のケネディ駐米大使就任のニュースとあわせて彼の多くの特集がなされております。
 一方で全く同じ日にもう一人の同じアイルランド出身の有名人が亡くなっていたことを知りました。彼はC.S. Lewis(ルイス)といって, 2006年興行の世界的にヒットした映画「ナルニア国物語」の原作者として有名です。イギリスの文学者であり伝道者で、彼の児童文学は有名で、「ライオンと魔女」は私が幼い頃に読んだ童話の一つでした。また彼は多くのキリスト教の信仰書、解説書でも優れた著者でもあります。彼は以前は無信論者でしたが、キリストを信じてからは彼の文学の根底にはいつも福音が秘められていたようです。
 ナルニア王物語のストーリーは、田舎に疎開してきたイギリス人4兄弟がナルニア国へ迷い込み、世界を冬の時代へと変えた白い魔女を倒すため、ライオンのアスランと共に戦う姿を描くファンタジーです。そのアスランというライオンが、この兄弟のうち、皆を裏切った一人の男の子の罪の身代わりになって魔女に殺されますが、後に復活し、また兄弟が和解し春がくるという面で、キリストが十字架で人の罪の代わりにその罰を負って死なれて、3日後に復活するという伏線が描かれています。
 キリストの愛を伝えるには様々な方法があります。芸術を通して、小説・映画を通して、歴史の一部を通して、病院・施設運営を通して、またマザー・テレサのような信者の生き様を通して。直接教会に行く機会がなくても、聖書に触れる機会がなくても、いつの時代でも神様は十字架に示されるキリストの愛を多くの人にわかるようにメッセージを発信されています。
 信仰とは、全てを知ってから信じるのではなく、最低限かつ中心的なメッセージ(ライオンのアスランが子供の為に自分の命を捨て、そして甦り、その子の罪が赦されて和解がもたらされるというような)を聞いて、シンプルに信じることから始まり、あくまでもスタートです。一度信じると決めれば、徐々に神様がその人の生活の中でご自分を示され、神様、キリストをもっと知っていくことで、私達に示される希望を含んだたくさんの約束を、聖書を通して知っていくというプロセスが続きます。困難な状況にあっても、別の次元で持ち続けることができる希望と平安をお一人お一人が味わって、体験されることを祈りつつ。
Nov. 15, 13 母のスマホ・デビュー

 「イエスは自分を信じたユダヤ人たちに言われた、「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである。 また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」。  ヨハネによる福音書831-32

 海外から、たまに日本へ一時帰国すると、毎回様々な発見があります。風景や制度、交通機関の進歩と日本も日々変動していることを観察できます。いつも驚かされるのは人々のITへの適応の速さ。電車の車両では携帯の画面を眺めていない人の方が少ないし、高齢者の方々の利用も多くなったように見受けられます。
 かくいう私の母もこのたび、スマホ・デビュー。なんと、日本にはシニア用のスマートフォンが販売されており、ボタンが押しやすく、お年寄りにも使い易い構造になっている機種に私は感動しました。以前の携帯よりも電話一つかけるのも、押しボタン式でかけやすいのです。まずは携帯でのメイルの送受信を伝授。私の母はPCを使ったことがなく、全て父に任せていましたので、突然無理かと思っておりましたが、意外にも本人も興味を示したのでメイルを打てるようになり、今も練習中。母のお友達で、すでにE−メイル利用されている方々へ打っています。これで、私が海外から電話を頻繁にしなくても、メイルにても安否確認が出来るので安心です。
 一方現代は、アメリカでもそうですが、絶えず誰かと文字でコンタクトしていない気がすまない、ある意味中毒的な人がいます。いつも手元に携帯でライン、Twitter,FBの画面を見る、すぐにレスを返さなければ落ち着かないという強迫観念、また自分の掲載した発言や写真を人がどう思うかということに囚われてしまうこともあると察します。本人達はそれが当たり前で、問題視もしないでしょう。これらの利便性はコミュニケーション能力において大いに活用されるべきですが、それらに知らずに支配されないようになりたいものです。
 時代が進歩し、忙しくても時間が限られている中でも、私は基本的に顔と顔をあわせてのコミュニケーション、もしくは電話を大切にしたいと思います。また、自身がHPに日記を掲載するのも目的があって行っており、その目的は私自身のアピールではなく、私が信じているイエス・キリストについてもっと知ってほしい、聖書とはどういう教えが書かれているかを知るきっかけになってほしい、ただそれだけの動機で書いてます。従ってHPを見る人は非常に限られてくると思います。自分の目的にそって、IT系のツールを利用すると、情報に支配されない自由があります。これは、神であるキリストご自身が変わらない「真理」であり、「真理はあなたを自由にする」という聖書のことばを生活の小さい中で実感できる面でもあります。
 日本に一時帰国中、東京の教会に久しぶりに出席。懐かしいメンバーとやはり顔と顔を会わせられるのが本当に嬉しいです。またいつも皆さんがNYにいる私のためにも祈ってくれていることを、じかに聞くと、ああ、だから今まで独りでやってこれたんだと安心します。日本滞在中、心身の充電・休息を与えられていることを感謝しつつ。 
Nov. 6, 13 火の中水の中

「恐れるな、わたしはあなたをあがなった。わたしはあなたの名を呼んだ、あなたはわたしのものだ。
あなたが水の中を過ぎるとき、わたしはあなたと共におる。川の中を過ぎるとき、水はあなたの上にあふれることがない。あなたが火の中を行くとき、焼かれることもなく、炎もあなたに燃えつくことがない。わたしはあなたの神、主である、イスラエルの聖者、あなたの救主である。」 イザヤ書43章2-3節

 長時間のフライトの際、皆さんはどのように過ごされますか?私は現地時間の夜に合わせて眠れるようなるべく起きています。本を読むと眠くなるので映画等を5−6本見て過ごします。すると12時間くらい経過するわけです。ハリウッド映画は興味がないのですが、この時だけは仕方がなく適当なもの(ホラー以外)を選びます。その中でサスペンス系を見ていると、大概主人公は何度も死んでいてもおかしくない程火の中、水の中を通り抜け、爆弾で吹き飛ばされ体を地面にうちつけられようと、立ち上がるのです。そしてそれを観てわくわく感が生じます。
 今朝読んだ箇所は古代イスラエル王国時代の預言者イザヤが、神様の言われたことば(預言)を書物に残した箇所です。神の民は水の中、川の中にあっても、さらには火の中であってもこの映画の主人公たちのように守られるのです。なぜなら、神を信じるものは神に属するものとして、守られ、救い出されるという約束です。これはイスラエルの民に対して書かれていますが、現代に生きる私達もイエス・キリストを信じる信仰により神の民となるので、このことばが適応されます。
 もちろん、私達の体は不老不死ではなく、病気にもなり、事故や災害でこの肉体はいつかは死にます。しかしながら、この弱い体で生きている間に、体が死んだら終わりでなく、魂は残り、その魂が行くところがはっきりしているという確信が与えられているので、日々感謝を覚えます。魂の救いはいくら健康でもお金があっても得られず、自分の内側の問題(罪)を解決しない限り与えられません。イエスは私達を罪から救うために地上に来られたのであって、私達の単なるご利益のために来られたのではありません。ご利益宗教はその場限りの願いを満たすだけで、一時的です。
 一方、神は一時的な避けどころも与え、悩める時に助けも与えて下さる方です。詩篇の著者はそのことを歌に記しています。「神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。このゆえに、たとい地は変り、山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。たといその水は鳴りとどろき、あわだつとも、そのさわぎによって山は震え動くとも、われらは恐れない。」詩篇46編1-3節  一時的と永遠と両方の必要を満たしてくださる方にあって平安を与えられ感謝しつつ。
Nov. 2, 13 防災訓練

「それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、平和の福音の備えを足にはき、その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう。また、救のかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい。絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。 」 エペソ人への手紙6章13-18節

 本日はマンション内の防災訓練が行われ、たまたま一時帰国している私は参加することとなりました。日本では定期的組織的に学校、会社、自治体、マンション単位で防災訓練が行われ、これは非常に賢いことだと思わされます。私はアメリカ在住中に、このような防災訓練に立ち会ったことがありません。(たまたまその活動に参加するほど一つの会社や建物にいないだけかもしれませんが)
 今回消防署の方から消火器の扱い方の説明を受けていて再確認したことは、火の回りが速く危険な場合は、消火器の栓をひっぱり、レバーを引いてそれを火のほうへ投げて自分は一秒でも早く逃げろということでした。当たり前のことですが、消火活動より、逃げることのほうが優先順位が高いですし、消防車がすぐに到着することを信じ、後は任せて逃げるべきなのです。
 本日の箇所では、キリストの使徒パウロが霊的な戦いについて、興味深い表現をしています。キリストを信じる者は目に見えない相手(悪魔、悪霊)との戦いがあり、敵は火矢を打ち込んで攻撃してくると。それを信仰という大盾等の神の武具で防御するわけですが、私達はこれらの武具を着けないと火矢をくらって、体がボーっと燃え、やけどするまで気がつかない場合があるのです。また自分の火を消し、つまり悪魔の攻撃を防御してから、今度は他の人の火事を消しにいくために、みことば(聖書のことば)の剣を持って、攻撃に立ち向かわなければならないのです。つまり、自分だけではなく、時には燃えている他者の火事を消しに加勢に行くわけです。もちろん、私達人間は、神の守りなしにこの世の邪悪な悪に対して歯が立たず、やられてしまいます。しかし、神の武具を着ければ守られますし、特に神の言葉(剣)には力があり、燃えてしまっている人に神のことばを思い出させれば、サタンはもう攻撃できないのです。
 私も神のことばをもっと心にたくわえ、他者が火事のときに神様の約束を伝えて励ますことで、消火活動に参加できればと願います。そして自分のできること(祈り、神のことばを伝えて励ます等)をしたら、消火器を投げて自身は身を引く時も必要であると。あとは神様が心の火事の消火と復興をしてくださることに任せようと思います。
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