最近、思いっきり笑ったのがいつだったかを覚えておられますか。いつも笑っているから覚えていないと言う方は幸せでしょう。医学的研究でも、笑いがもたらす身体的効用について多くの文献が出されていて、体内の細胞での戦い(大雑把にいうと免疫システム)が笑っている人のほうが活発になるそうです。また、笑いといっても、顔の筋肉が多く使われる大笑いだと数値に効果がでるそうです。一方、冷笑、嘲笑、苦笑という言葉があります。この手の笑いはその人の心の苦い思いを表し、あまり免疫システムには効果がないかもしれません。
約4千年前の現イラクにあたるウルという街に、アブラハムとサラという夫婦が住んでいました。彼らは高齢で、サラは不妊でした。当時の社会で子供が生まれないということは肩身が狭く、偏見もあり、サラは美しい人だったそうですが、辛い思いをしつつ、夫に従っていました。するとある時、神様がアブラハムに「私が示す地へ行きなさい、私はそこであなたを大いなる国民とし、祝福するから」*1と約束されたのです。彼らはその神様の指示に従い、現パレスチナ地方へ多くの家畜と雇い人を連れて移り、そこで寄留生活をしていました。”自分からひとつの国民が起こる”、しかしその時点ではこの夫婦には子孫がいないのです。その後待つこと10年、20年。一向にサラには子供が生まれず。しかし、サラが89歳の時に天使が「来年生まれるから」とこの夫婦に告げに来た時、サラは”ありえない”と心の中で冷笑し、それを天使に見透かされます。その子の名前はイサク(ヘブル語で”笑い”という意味)*2
となりました。この人からヤコブが生まれ、ヤコブの12人の子供が現イスラエル民族になっていくのです。
一年後。約束通りサラに男の子が生まれたのです!人間的には不可能なことですが、神には可能です。なぜなら無から有を言葉ひとつで創造出来てしまう、全知全能の神なのですから。サラは喜びで泣き笑い状態?その時彼女は生涯で本当に心から大笑いしたでしょう。よってここでの笑いは、今までの冷笑ではなく、とってもうれしい大笑い*3に神様が変えてくれた、周りの人々もきっと喜んで笑うだろうとサラは言っています。笑いが変えられたのです。
私達は、時々神様が動かれるのを忍耐して待たなければならない時、自分ではどうしようもない事柄があります。忍耐するには希望と、神様への信頼が必要です。一人一人、私たちはサラとは待っている内容もレベルも異なりますが、待てなくて時々落ち込み、自分で動いて自体を悪化させることもあるでしょう。そんな時は、神様を信頼せずに自分で動いたことを悔い改めたうえで、神様が軌道修正してくれると期待し、過去のことでくよくよしないで前を見たいと願います。それには、聖書のことばから神様の約束と祝福を思い出し、無理して作り笑いするのでもなく、あきらめで冷笑するのでもない、楽しい笑いに神様が変えてくださるだろうと期待したいと思うのです。
*1 創世記12章1-3節
*2創世記21章3節 イサク yits-khawk 意味:laughter
(冷笑、あざけり); Jitschak (or Isaac)
*3 創世記21章9節 tsaw-khak、語源; 大笑い(陽気に もしくは嘲って);
笑う、嘲る、遊ぶ