Praise the Lord 本文へジャンプ
今日のわか ちあい


Bryant Park, NYC
          
♪Today's Sharing♪

 Oct. 2016

聖書のことばを通して
生活のなかで示されたことや
インスピレーションが
与えられたことを一言
  東京駅でもどこでも 結婚カウンセリング  
  脱出の道 誰が大統領になっても  
Oct 25,  2016

「誰が大統領になっても」 

 

 2016年11月は米国で大統領選挙が行われます。先日、二つの政党からの候補者による最後のTV討論の様子がニュースに報じられ、一部だけネットで観ました。私は個人的に(もともとの性格上)政治の話を論じるのが好きですし、これらの候補者のことをあれこれ言うのは簡単です。しかし近年は余り一つの党や個人、主義を擁護したり批判しないように心がけています。また国民の義務として選挙には参加しますが、政治的活動には参加するつもりはありません。この世のことにあまり関わりすぎると、信仰中心の生活に支障がでるからです。一方で「どうせ誰がなっても変わらない」という無関心でいることや、「自分はこの世のことには関らず聖書だけ読んでいよう」という世離れした態度には、他者に対する愛が見出せません。しかしながら歴史を見ますと、宗教を大義名分にし、政府間や国家間で闘争してしまうという悲しい事実があり、それらに繋がりうる積極的政治行動に関わりたくないと思うのです。

 

 社会生活をしていく中で、平和と公平、安全な社会を望みつつ、キリストを信じる者として今の施政者とどうかかわっていくのかを考えさせられます。2千年前のキリストの弟子パウロはそのヒントを与えてくれます。彼がその当時の世界である地中海沿岸の各国でキリスト教の宣教活動をしましたが、晩年はローマ帝国の皇帝ネロにより斬首されたという伝承があります。その後もキリスト教がローマ帝国の国教となるまで、凄まじい迫害が行われ、多くのクリスチャンが殉教しました。そのような時代、パウロはローマ帝国の政治家、王に対し戦って信仰を守り通せと信徒たちに言いませんでした。逆に自分たちを迫害する皇帝の為に、願いと祈りととりなしをしなさいと指導していることが、聖書に記されているのです。これはイエス様が言われた「敵を愛し、迫害する者のために祈れ。」*1 をそのまま踏襲しています。パウロは悪名高きネロ皇帝のために、どのように祈ったのでしょうか。

 

 「およそキリスト・イエスにあって敬虔に生きようとするものは皆迫害されます。」*2 と聖書にあるように、今後も世界は再び戦争状態になり、信仰を守ろうとするものは必ず迫害されるでしょう。私が生きている間にもそれが起こるのでは、とある程度覚悟しています。しかし、「わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいる」*3 というイエス・キリストの約束があります。全知全能が神であるイエス様が常に共にいてくださるという約束が私にとっての保証です。自分は臆病者ですし、保身もありますから、自分の力で信仰を守り通す自信がありませんが、「その時」には神様から勇気と知恵が与えられると信じています。

 

 大国の大統領や日本の首相が誰になるかは国民にとって非常に重要な問題です。誰がなったとしても、全ての上に神様が統治されていることを信じて任せつつ、今の時代に上にに立つ人達が公正な政治を行うことができるよう、たとえ好ましくない政策が行われたとしても、脱出の道が示され、また良いことにつながるよう日々いのりたいと思わされます。

 

「そこで、まず第一に勧める。すべての人のために、王たちと上に立っているすべての人々のために、願いと、祈と、とりなしと、感謝とをささげなさい。 それはわたしたちが、安らかで静かな一生を、真に信心深くまた謹厳に過ごすためである。 」  第一テモテへの手紙2章1-2節

*1 マタイによる福音書5章44節

*2 第2テモテへの手紙3章12節

*3 マタイによる福音書28章20節

Oct 16,  2016

「脱出の道」

 

 どこの国でもそうですが、ニュースというのは自国のニュースが中心で、他国の事情についての報道は限られています。私は個人的に同じ地球のなかで今何が起こっているのかを最低限知りたいと思ってるのですが、最近は世界のニュースを以前のようにチェックできず、日本のTVでちらっと報道されるニュースしか知りませんでした。例えば10月上旬に北米を襲ったハリケーンの影響で、ハイチというカリブ海の国が打撃を受け、衛生状態が劣悪なためコレラが蔓延し、多くの人が亡くなっていたことは、日本ではほとんどニュースになりません。今日久しぶりに、アメリカの新聞をネットで読んで初めてその深刻さを知り、知らなかったとは言え、彼らの為に祈ることもしなかった自分に、それどころか自分の小さな世界で忙しいとあたふたし、溜息をついていた、そんな自己中心的、小市民的な視野に情けなくなりました。

 

  私を含め、自分のことでいっぱいで、他の人々のこと、ましてや海の向こうの人々のことまで考える余裕がない人が多いと思います。今自分に起こっている困難なこと、理不尽な事に「なぜ私にだけこんなことが、、」と不満を募らせ、それを他の誰かにむかってはけ口にする人が多く、そのはけ口にされた人々は、さらに「なぜ自分が当たられるのか」と、負の連鎖が続いていくようです。そしてストレス発散として娯楽に過度に興じ、一時の気分転換になっても、状況は変わらないので同じことの繰り返し。世の中こんなものだと諦める、そこに希望が見出せません。

 

 今日与えられた聖書の箇所程、辛い状況にあるときに励まされることばではないでしょうか。「世の常でないものはない」とは、これは今通っている試練は誰にでも起こりうることで、あなただけが特別に遭う試練ではないし、因果応報などとは関係ないということ。もちろん、自分がした失敗、不誠実なことの結果、つまり撒いた種を刈り取ることはあるでしょう。しかし、多くの患難や試練は自然災害や事故、たまたまおかれた部署でのことのように起こるときは起こります。しかし、神様は大きい視点の中で理由があって、その試練がその時期にその人に起こることを許されますが、耐えられないような試練には合わせず、必ず耐えられるように、脱出の道も備えて下さるという約束がここにあります。これは、人生振り返ってみると、私のような安穏とした人生のなかでも、私にとっては辛かった時期に、何度も神様から助け出されたという体験から、この約束が真実だとわかります。

 

 「なぜ起こるのかと?」いう問いより、このことを通しても神様には何か計画がこの先ある、これも良きに変えて下さると信じて神様にすべて委ねようとすると、安心と希望が与えられます。しかし現実は、その渦中にあってはそう考えられず、この問いをづっと続けてしまう時もあります。それでも、神様は私たちを見捨てないし、私たちの叫びを聞いて下さるやさしい方です。感情のアップダウン、思い煩う時があっても、すでに神様がキリストを通して私にしてくださったこと:救いの恵みを思い出して感謝しつつ、歩んでいこうと励まされます。そして、ハイチの人々に医療の手が届き、街が復興する希望が与えられるよう、また日本国内で辛いところを通っている人々の為に、脱出の道が備えられるよう祈ろうと思います。


「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」  第一コリント人への手紙10章13節  

Oct 6,  2016

 

「結婚カウンセリング」


 先日、式の前に牧師による結婚カウンセリングを二人で受けました。この牧師さんは韓国の方で、日本には10年以上在住し、最初は日本で宣教師として、そして昨年から牧師として彼と一緒に今の教会に就任した方です。とても穏やかな方で、日本に来る前は、韓国にてご夫婦で貧しい農村地区で農業に関わりながら伝道をされてきた方だそうです。

 

 私たちのためにコーヒーを入れて下さりながら、ゆっくりと話しを始められました。これからの結婚生活において、聖書の言葉をもとに心がけておくべきことをアドバイスしてくださいました。たくさんの大切なことを聞きましたが、一番心に残ったことは、「夫婦はお互いの存在が、神様からのプレゼントだということを忘れないていること」でした。これを思い出せば、これから起こりうる様々な困難なこと、意見が合わないこと、ケンカも乗り越え、いつも感謝できるでしょうと。

 

 聖書には夫婦関係について、たくさんの教えが記されています。それらは、現代において一般に受け入れられている、男女平等、女性の権利とは相いれない部分もあるかもしれません。しかし、基本的に神様が人を男と女に創造されたとしたら、人間関係において何が最善であり、理想の在り方かを知っておられるはずです。ですから私は聖書に書いてあることが、ベストだと信じます。男女は神様の前に平等ですが、役割が各々異なり、二人で相互に補いあえるように創られているようです。残念ながら、人は私を筆頭に自己中心なので、その通りにはいかないので、聖書の書いてある通りに出来る自信が全くないです。

 希望は、二人の間に共通のキリストを信じる信仰があること、そして神様に助けられて、その信仰に基づく同じ目標を持って協力して生きていけることです。そして、私は婚約者である彼が、神様からの一番のプレゼントだと改めて思い、感謝でいっぱいです。もはや独りの人生は考えられません。式も近づき、新しい生活への準備に忙しく、心の余裕がなくなりそうになる今から、タイムリーなカウンセリングを与えられて感謝しております。 


キリストに対する恐れの心をもって、互に仕え合うべきである。妻たる者よ。主に仕えるように自分の夫に仕えなさい。」 エペソ人への手紙5章11-12節

 

  

Oct 3,  2016

 

東京駅でもどこでも」  

 

 先日、東京駅構内のスタバでアメリカ在住時の友人たちと会いました。8月から月に一度仕事帰りにここに集まって、アメリカでしていた聖書の学びの会を再開しています。6年前米国フィラデルフィアにいた時、日本人留学生と現地で会社員をしていた日本人と4人でスタバで初めて自分で聖書の学びの会を開いたのが、随分昔のことだったような気がします。その後フィラデルフィア、NYで定期的に少人数でカフェや、教会の一室、友人のリビングルームなどで会を開催する機会が与えられ、多くの方と出会い、幸いな交流がもてたのは本当に恵みだったと感謝しています。

 この7月に米国から日本に引き揚げ、そのフィラデルフィアで一緒だった方々(現在東京勤務)そして折しもNYに旅行で来ていて会に参加して下さった方と再び集まれました。ところ変われども、月日が経とうとも、同じ心を持って聖書を学び、イエス・キリストについてもっと知りたい、そして各々の生活の中で学んだことを適用していきたいという願いで集められています。私は11月からは地方に引っ越しますが、このメンバーで定期的に集まれて、口こみで仲間が広がっていけばと願っています。

 

  今回のテキストはキリストの使徒パウロが、ピリピという場所の教会の信徒に書いた手紙で、同じ愛の心を持って一致し、互いに人を自分よりもすぐれた者と思うようにとの勧めの箇所でした。結局、師であるキリストのような心構えを持つことが大切であると。イエス・キリストご自身は神であるのに、人としてこの世に生まれて、神だからということで上から目線ではなく、かえって低くなって人に仕えられたご生涯でした。そして父なる神に従って、そのご計画である十字架の死にも従われた、そのような主、師匠の心構えを手本にしていけば、一致できると。

 

 私たちは互いの違いを超えてキリストを信じる信仰で一致し協力しあうことや、そして職場などの教会外では、相手が自分に良くしてくれなくても忍耐して関係を続けていき、このキリストのような心が構えを持つことが目指せたらと願います。私たちは皆社会の中で何かしらの組織にて働いたり、人と関わっていますので、様々なことが起こります。そのような状況で、聖書から学んだことを心にとめ、神様に日々感謝しつつ、心身をリフレッシュされ新たな力を与えられていきたいと皆で励まし合えたのは感謝でした。

 


「どうか同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、一つ思いになって、わたしの喜びを満たしてほしい。何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい。おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい。」ピリピ人への手紙2章2-4節
 

 

inserted by FC2 system