「脱出の道」
どこの国でもそうですが、ニュースというのは自国のニュースが中心で、他国の事情についての報道は限られています。私は個人的に同じ地球のなかで今何が起こっているのかを最低限知りたいと思ってるのですが、最近は世界のニュースを以前のようにチェックできず、日本のTVでちらっと報道されるニュースしか知りませんでした。例えば10月上旬に北米を襲ったハリケーンの影響で、ハイチというカリブ海の国が打撃を受け、衛生状態が劣悪なためコレラが蔓延し、多くの人が亡くなっていたことは、日本ではほとんどニュースになりません。今日久しぶりに、アメリカの新聞をネットで読んで初めてその深刻さを知り、知らなかったとは言え、彼らの為に祈ることもしなかった自分に、それどころか自分の小さな世界で忙しいとあたふたし、溜息をついていた、そんな自己中心的、小市民的な視野に情けなくなりました。
私を含め、自分のことでいっぱいで、他の人々のこと、ましてや海の向こうの人々のことまで考える余裕がない人が多いと思います。今自分に起こっている困難なこと、理不尽な事に「なぜ私にだけこんなことが、、」と不満を募らせ、それを他の誰かにむかってはけ口にする人が多く、そのはけ口にされた人々は、さらに「なぜ自分が当たられるのか」と、負の連鎖が続いていくようです。そしてストレス発散として娯楽に過度に興じ、一時の気分転換になっても、状況は変わらないので同じことの繰り返し。世の中こんなものだと諦める、そこに希望が見出せません。
今日与えられた聖書の箇所程、辛い状況にあるときに励まされることばではないでしょうか。「世の常でないものはない」とは、これは今通っている試練は誰にでも起こりうることで、あなただけが特別に遭う試練ではないし、因果応報などとは関係ないということ。もちろん、自分がした失敗、不誠実なことの結果、つまり撒いた種を刈り取ることはあるでしょう。しかし、多くの患難や試練は自然災害や事故、たまたまおかれた部署でのことのように起こるときは起こります。しかし、神様は大きい視点の中で理由があって、その試練がその時期にその人に起こることを許されますが、耐えられないような試練には合わせず、必ず耐えられるように、脱出の道も備えて下さるという約束がここにあります。これは、人生振り返ってみると、私のような安穏とした人生のなかでも、私にとっては辛かった時期に、何度も神様から助け出されたという体験から、この約束が真実だとわかります。
「なぜ起こるのかと?」いう問いより、このことを通しても神様には何か計画がこの先ある、これも良きに変えて下さると信じて神様にすべて委ねようとすると、安心と希望が与えられます。しかし現実は、その渦中にあってはそう考えられず、この問いをづっと続けてしまう時もあります。それでも、神様は私たちを見捨てないし、私たちの叫びを聞いて下さるやさしい方です。感情のアップダウン、思い煩う時があっても、すでに神様がキリストを通して私にしてくださったこと:救いの恵みを思い出して感謝しつつ、歩んでいこうと励まされます。そして、ハイチの人々に医療の手が届き、街が復興する希望が与えられるよう、また日本国内で辛いところを通っている人々の為に、脱出の道が備えられるよう祈ろうと思います。
「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」
第一コリント人への手紙10章13節
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