「子ども達の笑顔@刑務所」
結婚して、那須に引っ越してきてから今迄の自分だけの世界から夫の世界へと広がっていき、毎日新らしい体験、経験が続きます。折しも12月となりクリスマスシーズンで、牧師である夫が関わる様々なクリスマスの礼拝や祝会、会合、キャロリング等が続き、その中で印象深かったのは刑務所内でのクリスマス会に夫についていく機会が与えられたことでした。
夫は教誨師といって、刑務所や少年院等内で受刑者に講説をする仕事もしている関係で、教会関連の幼稚園と協力して、地元の刑務所でクリスマス会を開催しています。初めて訪問する刑務所はその警備体制とものものしい建物で、入るとき少し緊張しました。幾度も施錠されたドアを通り抜けた先にある講堂内には、すでに幼稚園児たちがクリスマスの劇の披露のためにすでにワイワイ準備をしていました。この子供たちは刑務所に対する偏見が全くなく、ただ劇を見せるために先生たちに連れられて無邪気に楽しんでいて、変に緊張していた大人である私は少し恥じらいました。
会が始まり、まずは子供たちによるイエス・キリストの生誕劇、そして夫が受刑者のかたがた(300人、三分の一が今回参加)に対して、クリスマスの話にちなみ、彼らがこれから社会に出所した後のための励ましのことばを話していました。最後はトリオの演奏で美しいクリスマスソングの音色を聞かせて頂きました。普段非常に厳しい環境に置かれていると思われますが、子供たちの劇と歌を観ている受刑者の中に、笑顔の表情を見せる人がたくさんいることを舞台袖から垣間見れました。夫によると、おそらく自分の子どもを思い出して、涙を流す人もいるそうです。以前は教会付属であった(現在は学校法人)この幼稚園は、このクリスマスの慰問活動を25年続けているそうです。
キリストが人として2千年前に生まれてきたとき、最初にそれを天使により知らされたのは、社会での上流階級や学者ではなく、羊飼い達でした。彼らは当時、社会的には下層階級とみなされていましたが、聖書では羊の世話は非常に重要な意味を持ち、羊飼いと羊の関係をイエス・キリストと人間に譬えられています。神様は待望されていた救い主の誕生を羊飼いのような社会から見下されていた人たちに表されたように、神様は一人一人を過去に何をしたか関係なく、大切な存在として愛しているということを夫は受刑者の皆さんに話していました。前科のある人々が偏見を背負って社会の中で生きて行かなければならないという厳しい現実において、神様の愛を知って前向きになってほしいと祈っています。
神様の前に赦されない、贖いきれない罪はありません。たとえ人は赦さなくても、神様は悔い改めて、その赦しを与えるために代わりに、刑を受けて罰せられた十字架上のイエス・キリストを信じるだけで、全て赦してくれます。私は刑事的な罪を犯していませんが、神様の前にたくさんの罪(聖書では”罪”とは神の基準から外れていることすべてを意味します)を犯してきて、それを全て赦されたものです。そして赦されたあとには、自由があり、喜びがあり、回復があります。だからこそ、この人知を超える救いの知らせ:福音(よい知らせ)を辛い思いをしている人々、罪責感にさいなまれていている人、絶望している人に告げ知らせたいと思うのです。
「さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。
すると主の御使が現れ、主の栄光が彼らをめぐり照したので、彼らは非常に恐れた。」 ルカによる福音書2章8-9節
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