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今日のわか ちあい



ベネチア、italy

          
♪Today's Sharing♪

Dec. 2016

聖書のことばを通して
生活のなかで示されたことや
インスピレーションが
与えられたことを一言
  子ども達の笑顔@刑務所 クリスマス:喜びの時、そして別れ  
  有機農業を教える学校@栃木県那須 クリスマスキャロル@高齢者施設  
Dec 24, 201
「クリスマス:喜びの時、そして別れ」

 今週はクリスマスの行事が多く、毎日キャロリングに歌いに出かけたり、今晩もクリスマス・イブ礼拝、そして更に個人宅を訪問してキャロリングがあります。昨晩は那須塩原駅前でクリスマスの賛美を歌い、聖書を配りました。3連休の初日で、駅にはあまり人は多くはなかったのですが、それでも多くの人がキャロリングをしている私たちに、ちょっと立ち止まり、そして聖書とちらし(テニスプレーヤーであり、錦織のコーチのマイケル・チャンの信仰の証)を受け取ってくれたので、嬉しかったです。非常に寒かったのですが、一時間半は喜んで歌っていればあっという間でした。

 今日は、たまにしかチェックしないFB(フェイスブック)を見ると、一枚の白黒の写真がUPされていました。「ああ、Jが天国へ行ってしまった。。。」彼女はNYの教会での友人で、私がこの教会に新しく通い始めたころ、誰と話していいかわからず、まだ親しい人がいなかったとき、彼女はよく私に話しかけてくれて、とても嬉しかったのを思い出します。一緒にチームでグランドセントラル駅でホームレスの人たちに伝道しにいったり、女性の修養会に一緒にいったり、その楽しい思い出を作る間もなく、彼女に肝臓がんのステージ4が発見されました。彼女は、いつも周りに心配させないように笑っていたし、言われなければわからない程見た目は元気にしていて、しばらく仕事も続けていました。 彼女の為に教会でお祈りをつづけていましたが、彼女は実家のハワイへ移っていったのが2年前。抗がん剤治療などの闘病生活の後、昨日天国へ召されたそうです。涙が出ましたが、彼女は、今、世界中クリスマスとしてそのお誕生日を祝っている、イエス・キリストと天国で一緒なんだと思うと悲しいけれども、平安な気持ちで送り出せます。

 彼女は、天で永遠に、イエス様と生き続けるということが、今日の聖書の箇所を通して約束されています。イエス様が人としてクリスマスにこの世に生まれてきたのは、まさにキリストを信じる者が、死んだら終わりではなく、永遠の命を得て、天国にて生き続けられるためでした。このクリスマスの時期、彼女のご家族と友人たちに神様の慰めが与えられるよう祈ります。


「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」 
ヨハネによる福音書3章16節
Dec 22, 2016
「クリスマスキャロル@高齢者施設」


 「きよしこの夜」。この曲はクリスマスの時期に街で流されている、誰でも一度は耳にしたことがある曲だと思います。今年は栃木県の那須塩原近辺の高齢者の入所施設(老人保健施設、グループホーム等)の数か所にて3日間に渡って、教会の皆さんとクリスマスの歌(クリスマスキャロル)を歌ってまわりました。昨年まではNYに在住していたので、マンハッタン市内セントラルパークの入り口で大勢の観光客や街行く人々の前で教会の皆と歌ったのですが、今年はがらりと所変わり、施設に入所し介護が必要な方々やデイサービスに通う方々の前で歌いました。ほとんどの方が車いすに乗ったまま食堂に集められ、私たちの歌う賛美歌を静かに聞かれていました。無表情で聞いている方もいれば、一緒に歌ってくれる方もいました。終わってから挨拶に利用者の方に声をかけると「ありがとう」と涙を流している人もいました。

 私は以前、このような施設で支援相談員(ソーシャルワーカー)として勤務していて、施設内の利用者さん(多くが認知症がある方々)のために、できるだけ楽しい時間を持ってほしいと様々なイベントや演奏をしてくれる外部からのボランティアを募り、アレンジしていたことを思い出しました。

 人生の晩年に、介護が必要になり自宅では生活できない身体、精神の状態。このような施設の利用者のほとんどの方が、自宅に復帰できる可能性がなく、施設を転々としています。短期間の施設入所でリハビリをし、回復して自宅に戻れる人はほんの一握りでした。この現場を相談員として知っていた私は、彼らの心の嘆き、諦め、悲しみを知っているからこそ、キリストの福音、クリスマスにある希望と喜びを特に伝えたかったのです。少しでもイエス・キリストが救い主としてこの世に生まれたことを知っていただきたいという思いを込めて、私たちは曲の合間に、下記の箇所も含めてクリスマスの意味を示す聖書を読みました。今年は、この那須塩原という新しい土地へ移り、恒例の施設キャロリングに参加できたことを感謝しつつ、今週末のクリスマスの礼拝に参加したいと思います。

「御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。」 ルカによる福音書2章10-11節
Dec 11, 2016

 

「有機農業を教える学校@栃木県那須」


 オーガニック、有機栽培。少し値段は高くても体に良い野菜、肉などを食べたいと思う人はご存知のことばだと思います。これは従来の化学肥料を使った大量生産の安い食品生産工程に対し、なるべく自然のものを用いて栽培する、もしくは飼育する方法で、食の体への安全を考え、また自然との調和を考慮すると、非常に重要なことだと思わされます。オーガニックと歌っていても実際どの程度なのかは、一定の基準で審査する団体がまちまちであるため不明な部分もあります。少なくとも、化学肥料、保存料、着色料等を極力含まない食料であり、成長ホルモンが投与されていたり、あやしい飼料で飼育されたりしていない卵・肉、遺伝子を組み替えていない穀類というだけで安心感があり、実際食べてみて味が異なります。

 先日、私の通う教会の関連の専門学校の卒業式に夫と共に参加しました。この学校はアジア学院(Asia Rural Institutes) http://www.ari-edu.org/ といって、アフリカ、アジア等の開発途上国の人々を農村指導者として育成し、彼らに有機農業を教えるキリスト教精神に基づいた専門学校です。創立1973年以来、多くの卒業生たちはここで得た知識と技術、またリーダーシップを教えられ、祖国へ帰り、彼ら自身がが農業・酪農を現地の人々に教えて地域に広めていくという非常に重要な役割とミッションをもって日本に留学してくるそうです。この学生たち(祖国では牧師、NGOのマネージャーなど指導者レベルの人たち)と短い間ですが私も少し関わることができて、非常に学ぶことが多く、現代の先進国中心主導開発経済の弊害についても考えさせられました。
 今回の卒業生は23人、13か国から留学していて、慣れない日本で9ヶ月間家族と離れ、単身で寮に住み、学びました。私たちの教会では、彼らの学校の入学式と卒業式、また収穫感謝祭や歓迎会、送迎会、普段の日曜礼拝などで親しくなっていきます。今回も教会の礼拝の後送別会もありましたし、その中には私の結婚式にも来てくださった学生、スタッフの方々もいました。

 卒業式での学長のメッセージで、下記の聖書の箇所が引用されていました。豊かさとは、お金ではないし、たくさん何かを持っているかでは測れないものだと思わされました。アフリカやアジアの国々の特に農村地帯は、貧しく、医療も不足し、現地の環境を破壊する先進国の開発事業という厳し状況におかれています。この学校で学んだ人々が、小さな働きではあるかもしれませんが、彼らの地域社会に与えるインパクトは大きく、自然と調和した幸せを味わえるのではないでしょうか。 この聖書の箇所は、キリストの弟子、パウロがキリスト教を世界的に布教活動をしていたなかで、彼が経験した迫害の数々、様々な試練、困難を述べた後、にもかかわらず、キリストを信じる信仰のゆえに、なんと豊かで満ち足りて、喜んでいられるかを表し、これが現代に生きる私たちへの励ましともなります。

 昔自身が学生時代、開発途上国の政治経済を学んだ時に、南北問題、開発問題に興味を持って仕事もしたいと思っていたことをを思い出しました。一時はJICAに応募して、南米で働きたいと思ったこともありました。しかし様々な事情でその方向に道が開けず、結局知識のみで現場に行く機会も、それらに関る人との接点もなかったのですが、今回アジア学院の存在を知り、彼らと接する機会が与えられたことは幸いです。

 日本は経済的には豊かで便利ですが、社会で起こっている現象、事件を観るにつけ、心は非常に荒んでいる人がおおく、陰湿な犯罪、子どものいじめ、社員の心身を犠牲に利益優先の体制をとるブラック企業と深刻な問題が山積みです。日本人の若い世代が、このような学校で学び、日本で新しい持続可能な環境と調和した、人にやさしい農業、酪農業、漁業などの一次産業の発展に興味を持っていってくれたらと願います。そして、私の出来る事は、この学校を支える関連教会として何か小さいことでも手伝っていければと、何よりも彼らの祖国での活躍を祈っていきたいと思わされました。

                                 
 「悲しんでいるようであるが、常に喜んでおり、貧しいようであるが、多くの人を富ませ、何も持たないようであるが、すべての物を持っている。 」 第2コリント人へ手紙6章10節

  

Dec 7, 2016

子ども達の笑顔@刑務所」

 

結婚して、那須に引っ越してきてから今迄の自分だけの世界から夫の世界へと広がっていき、毎日新らしい体験、経験が続きます。折しも12月となりクリスマスシーズンで、牧師である夫が関わる様々なクリスマスの礼拝や祝会、会合、キャロリング等が続き、その中で印象深かったのは刑務所内でのクリスマス会に夫についていく機会が与えられたことでした。

 夫は教誨師といって、刑務所や少年院等内で受刑者に講説をする仕事もしている関係で、教会関連の幼稚園と協力して、地元の刑務所でクリスマス会を開催しています。初めて訪問する刑務所はその警備体制とものものしい建物で、入るとき少し緊張しました。幾度も施錠されたドアを通り抜けた先にある講堂内には、すでに幼稚園児たちがクリスマスの劇の披露のためにすでにワイワイ準備をしていました。この子供たちは刑務所に対する偏見が全くなく、ただ劇を見せるために先生たちに連れられて無邪気に楽しんでいて、変に緊張していた大人である私は少し恥じらいました。

 会が始まり、まずは子供たちによるイエス・キリストの生誕劇、そして夫が受刑者のかたがた(300人、三分の一が今回参加)に対して、クリスマスの話にちなみ、彼らがこれから社会に出所した後のための励ましのことばを話していました。最後はトリオの演奏で美しいクリスマスソングの音色を聞かせて頂きました。普段非常に厳しい環境に置かれていると思われますが、子供たちの劇と歌を観ている受刑者の中に、笑顔の表情を見せる人がたくさんいることを舞台袖から垣間見れました。夫によると、おそらく自分の子どもを思い出して、涙を流す人もいるそうです。以前は教会付属であった(現在は学校法人)この幼稚園は、このクリスマスの慰問活動を25年続けているそうです。

 キリストが人として2千年前に生まれてきたとき、最初にそれを天使により知らされたのは、社会での上流階級や学者ではなく、羊飼い達でした。彼らは当時、社会的には下層階級とみなされていましたが、聖書では羊の世話は非常に重要な意味を持ち、羊飼いと羊の関係をイエス・キリストと人間に譬えられています。神様は待望されていた救い主の誕生を羊飼いのような社会から見下されていた人たちに表されたように、神様は一人一人を過去に何をしたか関係なく、大切な存在として愛しているということを夫は受刑者の皆さんに話していました。前科のある人々が偏見を背負って社会の中で生きて行かなければならないという厳しい現実において、神様の愛を知って前向きになってほしいと祈っています。

 神様の前に赦されない、贖いきれない罪はありません。たとえ人は赦さなくても、神様は悔い改めて、その赦しを与えるために代わりに、刑を受けて罰せられた十字架上のイエス・キリストを信じるだけで、全て赦してくれます。私は刑事的な罪を犯していませんが、神様の前にたくさんの罪(聖書では”罪”とは神の基準から外れていることすべてを意味します)を犯してきて、それを全て赦されたものです。そして赦されたあとには、自由があり、喜びがあり、回復があります。だからこそ、この人知を超える救いの知らせ:福音(よい知らせ)を辛い思いをしている人々、罪責感にさいなまれていている人、絶望している人に告げ知らせたいと思うのです。

 「さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。 すると主の御使が現れ、主の栄光が彼らをめぐり照したので、彼らは非常に恐れた。」 ルカによる福音書2章8-9節

                                 

 

 

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