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今日のわか ちあい

Murrieta, CA
♪Today's Sharing♪

Jan. 2015

聖書のことばを通して
生活のなかで示されたことや
インスピレーションが
与えられたことを一言
日々新しく 人の命の値
雪の力 5人に1人の子供が生活保護受給@アメリカ
Jan.29,
2015
”5人に1人の子供が生活保護受給@アメリカ”

 「世の富を持っていながら、兄弟が困っているのを見て、あわれみの心を閉じる者には、どうして神の愛が、彼のうちにあろうか。 子たちよ。わたしたちは言葉や口先だけで愛するのではなく、行いと真実とをもって愛し合おうではないか。」第一ヨハネの手紙2章17-18節

 1月29日のニュースで目に留まった統計。2014年アメリカの家族統計によると、5人に1人の子供がフードスタンプ(生活保護による食料券)を受けているとの事。その半数が母子家庭の子(810万人)だそうです。これは10代の子達が無責任に子供を作り、父親を知らない子供達の数をも表します。先進国であるアメリカは貧富の格差は大きく、お金持ちは想像を絶する程ですが、貧困層も多いのです。
 先日、飛行機の中で実話を基にした"Good Lie"(良い嘘)という映画を観ました。アフリカ・スーダンの子供、兄弟6人が内戦で親をなくし、なんと徒歩でケニアの難民キャンプまでたどり着き、そのうち4人がアメリカへ難民として受け入れられた話です。途中、長男は兵士に捕まり、末の子は病気で亡くなりました。彼らのようにアメリカで難民として受け入れられ人はほんの一握り。アメリカの生活は彼らにとって見るもの全て初めてで、なんとか仕事を紹介され働き始めました。一人の子がスーパーで働いていると、そこではたくさんの食料品が賞味期限ということで捨てられていき、その担当をしていましたが、どうにも耐えられなくなり辞めてしまうのです。彼らはスーダンの村で原始的な簡素な生活をしていた時、ミッショナリーからもらったであろう一冊の聖書を、旅の間づっと大事に持っていて、よく共に祈ってたのが印象的です。その映画の内容を全てカバーしませんが(最後は意外な展開でしたが)、とても感動し、人の欲と無慈悲の心が貧富の差を作るという事も含め、様々なことを考えさせられた映画でした。
 古代のイスラエル民族は、神から律法という掟をモーセという預言者を通して与えられましたが、その内容には神と人との関係、人と人との関係の掟があり、後者は近代以降の刑法や民法のモデルとなっています。人が生まれながらの罪ゆえに欲深く、奴隷制度を作り、貧富の差は古代社会からありました。神はこれを是正するためにも、ある戒めを定めたのです。奴隷となった人は7年目で無償で解放されること、貧しくて自分の先祖代々の土地を売却していた人は、50年ごとにもとの土地を取り戻せる、つまり土地を購入した人は損をしますが、土地を失い、奴隷になった人は一からやり直しが出来るというシステム。(本来イスラエル人は、部族ごとに土地を割り当てられていて、そこで作物を収穫、家畜を飼っていました)* しかし、イスラエル人(現代のユダヤ人はその末裔)はこれらを守れませんでした。現代の資本主義国において、我々もこのようなシステムは無理でしょう。
 一方、冒頭の箇所のように、神様は貧しい人に施しなさいと聖書を通して言われます。私の現状は富もないですし、正直、憐みの心もいつも持てません。神様に自分がたくさん憐れんでもらったのですから、他者を憐れむ心を与えて下さいと求めつつ、小さいことから始められたらと願います。
Jan.26,
2015
”雪の力”

「主は言われる、さあ、われわれは互に論じよう。たといあなたがたの罪は緋のようであっても、雪のように白くなるのだ。紅のように赤くても、羊の毛のようになるのだ。」 イザヤ1章18節

 今日は予報で凄い雪嵐(ストーム)が来ると言うことで、会社は午前で終了。明日もお休みとなりました。今のところ雪は降り続きますが、”記録的嵐のため、明日は外出は控えるように”という警報がでる程に思えない様子。しかしこの雪も2日降り続けば積もるでしょう。
 1996年1月、初めてマンハッタンに住むため引っ越した時、年明けにものすごいストームの日があったのを思い出します。街は道路も真っ白。ニュースでは外出禁止となっていて、外はほとんど人がいない状態。私はアパートで一人、友人の猫とお留守番で、その頃インターネットもなくTVだけで、情報も少なくちょっと心細かったものでした。外に出てみると、全てが雪でうめつくされていて、とても美しい光景だったのを覚えています。日常は車と人ごみと、ゴミとでうめつくされている喧騒の街が、雪が全てを消してしまったかのような錯覚。子供のようにちょっとはしゃぎたい気持ちにかられました。雪の力というのを改めて思わされます。
 雪のように白くなるという表現で、私たちが罪を悔い改めれば、神様が一瞬にしてすべての罪と不義を清めてくださるということが今日の箇所で表わされています。「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます」* とあるのは、なんという大きな神様の恵みと憐みだなあと。たとえ私の罪が真っ赤であっても、どんな種類の罪であっても、真っ白にしてくださる。何度も何度も。そして徐々に同じ罪を犯さないようにも変えてくださる。キリストを通して、この神様の愛の力で可能なんだなあと、改めて感謝を覚えました。
Jan.22,
2015
"人の命の値"

「わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。」ヨハネによる福音書10章11節

今月、一年ぶりに日本へ一時帰国をし、短期間でしたが、家族とゆっくり過ごすことができ、また友人や母教会の皆さんと会い、楽しい時はあっという間に過ぎました。寂しがりやの弱い私は、外国で独りというのは時に厳しいこともあり、このようなリフレッシュがあるからこそ、また再びアメリカに戻ってこられ、励まされます。
 帰国直前、驚くべきニュースが入りました。邦人二人がイスラム国に捕らえられ、身代金2億ドルが要求。日本人として心が痛み、どうしたらいいのかわかりません。ただただ、彼らの奇跡的救出を祈るのみです。
 お二人についての様々な情報が流れていますが、この後藤さんというジャーナリストの方について心に留まったのは、彼は1997年にクリスチャンになったということです。神の守りを信じて、危険地域でのジャーナリスト活動を今まで遂行してきたと。だからといって、神を試すような(神が守ってくれるからどこでも大丈夫だ!のような)危険に自らをさらさない、なぜなら聖書には「神を試みてはならない」とあるからとも言っていたそうです。
 その後藤さんが、湯川さんと関わり、彼が捉えられたと聞いて、どれほど祈って今回に至る決断をしていったのかはわかりません。これはあくまでも私の推測ですが、彼はあちらに行って、なんとか湯川さんと少しでも話す機会を得、最後にキリストの福音を伝えようと、そして可能であれば、自分が捕虜になり、引き換えに湯川さんの解放を交渉しよう、自分の命を捨ててまで湯川さんを助けたいと思ったのではと。後藤さんにとって、湯川さんは彼の大切な家族でもなく、最近知り合った人。後藤さんの決断には何かしらの信仰的要素があったのではないでしょうか。
 命の値に、その人がどんな人であるかは関係ないはずです。しかし、私たちはその人に価値があるとかないとか、ふさわしいとか、自業自得だとか、自分勝手な基準で推し量り、裁きがちです。たとえ、人が誰かの命の代わりに、自分の命を差し出したとしても、その人の死んだ後のことに関しては無力です。神の子イエス・キリストがご自分の命と引き換えに、全ての人が救われるために十字架にかかって死なれました。この命はこの体が死んだ後のことにもかかわります。つまり人が永遠に魂が天国で生きれる命のため、イエスは自分の命を捨てました。この救いを受け取るにはコストはかかりませんし、ただキリストが自分の罪のために死んで3日後によみがえったことを信じると、その救いが自分のものとなります。が、その救いのコストはただではなく、キリストの命がかかっています。命には命。人の命はお金では換算できるものではないと改めて思わされ、この事件にも神様が私たちの想像を超えた大きなところでコントロールされていると信じつつ、彼らの救出を切に祈ります。
Jan.2, 2015 ”日々新しく”

「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。」 第2コリントの信徒への手紙 5章17節

 皆様 新年あけまして おめでとうございます。昨年は大変お世話になりましたが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
 年末年始、私はまた風邪をひいてダウンしましたが、幸い仕事がお休みでしたのでようやく治りかけています。元旦は日本人のご夫妻に招待頂き、皆で奥様の手作りのおせち料理とお汁粉を堪能。ある方々は紅白等の日本の番組をケーブルTVで、NYにても観て年越しをされたとのこと。私の年越しは聖書を元にして製作された”使徒の働き(Acts)”の映画を観ながら、お正月を迎えることができて感謝です。胃のほうはご馳走で満足し、一方、今年も心と霊の糧として必須の聖書の学びを続けていこうと、新年早々気持ちを新たに切り替えて行こうと思わされました。
 時間はどの人にも平等に過ぎていきますし、肉体の衰えは避けられません。しかし、冒頭の聖書のことばにあるように、キリストにあるならば、日々心の内側が新しくされるという約束に期待し、私に任された小さいミニストリーを聖霊に助け導いて頂き、学びに参加する方々に聖書のことばの解き明かしを通して仕えていきたいと願います。イエス・キリストの十字架と復活のおかげで、これを信じる者は外側は変わりませんが、内側が新しくBorn Againされます。そして生まれたばかりの赤ちゃんが、放置されると死んでしまうので、日々愛をもって世話をされ、食物を与えられて成長するように、霊的に新しく生まれた者(クリスチャンになった者)も日々、神のことば(聖書)を読んで心に留めていくことと、信徒同士のフェローシップと祈りを共にしあうことで、成長させられていきます。そしてその成長を心の内側に住む聖霊が、日々助けてくれるのでほっとします。全部自分の努力でなんとかしなくては!と意気込む必要はないからです。ただ、私が新しく生まれるために、キリストが命をかけて下さったことをいつも感謝し、そのキリストに習い、失敗はそのつど悔い改め、従っていきたい(いつも失敗だらけですが。。)、この姿勢は変えずにいきたいと。神の愛は、私がどうであれ、決して変わらないのが感謝です。
 本日の金曜の聖書の学びはお正月スペシャルで、お雑煮・プチおせち料理を用意し、皆で頂く予定です。食事を共にできるというのは幸せと、主にあって感謝し、いつの日かみんなで天国で、神の国の食卓につけること*を期待しつつ。
 *イザヤ書25章6節
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