"映画「杉原千畝」ひとりの日本人が世界を変えた 唐沢寿明主演を観て"
「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。これらのことを命じるのは、あなたがたが互に愛し合うためである。
」 ヨハネによる福音書15章16-17節
久しぶりに感動する映画を観ました。「杉原千畝」第2次世界大戦中、折しもリトアニア駐在の日本人外交官が軍国主義に走る日本政府に背いて、ドイツ・ナチスの虐殺を逃れようとするユダヤ人難民のために、命のビザ(日本を通過して、最終目的地:南米のオランダ領へ渡航するための通過ビザ)を約6千人に発給し続けた事実を映画化したものです。彼のことは、私が1990年代にNYに住んでいた時、彼の奥さんがまだ存命中にNYで講演を開催されたことがあって、そのような人がいたことを知ったものです。その当時の私は未熟で、興味があまりなく、講演を聞きに行きませんでした。今思うと、なんと貴重な機会を逸したかと悔やまれますが、今日本で映画化されたこと、そしてこの夫婦がクリスチャンだったこともあり、非常にうれしいのです。杉原氏は、いつから信仰をもったのかは詳しくは知りませんが、彼が彼と彼の家族の命の危険を冒してユダヤ人を助けたことは、単なる人情的、人道主義だけではやり遂げられないことです。映画では彼の信仰のことは触れられていませんが、私はクリスチャンとして、彼の信念と覚悟が神様への信仰によると確信しています。神様は必ず助け出してくれるという信仰に支えられなければ、あの時代の日本軍の統治下にとうてい出来ないことですし、彼一人だけでなく、その他にもユダヤ人が脱出できるよう協力した人達がおかれたのは、神様の導きがあったからこそ可能であったと、映画を観て改めて思わされたのです。現代、この助けられた6千人のユダヤ人の子孫が世界に約4万人いて、ユダヤ人の中では彼は命の恩人として称えられてるそうです。
ホロコースト。歴史上、これほど残酷な虐殺はないでしょう。しかしながら、ニュースとして取り上げられていないだけで、第2次大戦以降も、アフリカでの民族間の争いにより、一民族虐殺、Ethnic
Cleasingと称して虐殺するという恐ろしい戦争の一環が行われてきましたし(ツチ族とフツ族間の戦争)、カンボジアの戦争時の虐殺もしかり、そしてベトナムでは大義名分をかかげ、どれだけ人が人を殺してきたことでしょうか。今から約2千5百年前、同じようにユダヤ民族が抹殺されるという政治的な企みがあって、それを一人の若い女性が立ち上がり、救ったという話が聖書に書かれています。(エステル記)当時はペルシャ帝国が世界を支配しており、ユダヤ人達は国を追われ離散しており、それでもある程度の自治は与えられ、彼らの宗教と文化を保持して生活していました。その策略がもたらされる前に、折しもペルシャの王様が民間から王女を募集し、一人の美しいユダヤ人の女性が選ばれた時でした。そしてユダヤ人に敵意を持つ王の側近が、ユダヤ民族を抹殺する勅令を王から取り付け、法令化してしまうのです。そこで、女王といえでも王の好意を必ずしも受けられる保証がなかったエステルが、命の危険を冒して王にその取り消しの嘆願をします。そしてその願いが見事聞かれ、ユダヤ人はその虐殺を免れたことが記録されています。興味深いことに、聖書であっても、この話には一言も「神」ということばやユダヤ教の宗教的なことがあまり出てこないのです。杉原氏の伝記にも、彼の信仰のことはあまり取り上げられていなくても、背後に神の御手があることは共通しています。彼が勇気ある行動をとったのは、実が残る為には、神が願いをかなえてくれるという冒頭のイエス様の約束を信じたからでしょう。
残念なことに、中世以来キリスト教はユダヤ人を迫害してきました。大多数のユダヤ人は、2千年前に十字架で死んだイエスが、彼らの待望する神から送らた救世主だと信じません。キリスト教をもちろん認めませんし、厳しいユダヤ人の家庭ではもし親族内にクリスチャンになる人がいたら勘当です。しかし、彼ら中にはいつか、信じる時がくると聖書に預言されています。彼らの祖先が刺し通したイエスが、救い主:メシアだったことを知って嘆き、悔い改めて信じると。*ユダヤ人が敵対してきたキリスト教徒の杉原氏が、ホロコーストから救うために命をかけて働いてくれたことを知って、少しでもキリスト教に対する憎悪という偏見から離れてくれたらと願う者です。
人が作った宗教は政治やイデオロギーの道具に使われ、人を殺し、お金を搾取し、時代はますます悪い方向に言っていることはニュースを見れば自明です。しかしキリストを信じる者には希望があることは幸いです。このまま悪は続かない。必ず神様は最終的に悪を裁かれる方であり、そして人には最後まで真の神に逆らい、悪を行うことから悔い改めて、救い主であるキリストを信じるチャンスが与えられていることです。その為に益々、祈っていきたいと思わされます。
*ゼカリヤ書12章10節
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