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(聖書の中の女性達  No.8)
  
 

 「アンナ」


「…そしてこの幼な子のことを、エルサレムの救を待ち望んでいるすべての人々に語りきかせた。」(ルカによる福音書2章38節) 

 

○アンナ:女預言者

  アンナとは恵みという意味で、ハンナのギリシャ語形です。彼女について記されている箇所は、聖書の中でこのルカ福音書の数節のみです。それにも関わらず、聖書の女性の中で注目する点がいくつかあります。
 
まず、彼女は女預言者であったことです。(ルカ2:36) 旧約聖書の中で女性の預言者は5人だけ挙げられています。モーセの妹ミリアム(出15:20)、士師の一人のデボラ(士4:4)、ユダ王国のヨシア王の時代のホルダ(2列22:14)、ネヘミヤの城壁建築を妨害していた偽預言者のノアデア(ネヘ6:14)、預言者の妻であると記されているイザヤの妻(イザ8:3)、神様は女性を通しても人々に語られましたが、イザヤや他の男性預言者のように、預言書を記ている女性はいません。

一方、アンナの登場は、イスラエルに数百年間預言者が不在であった時代に、洗礼者ヨハネが出る直前であり、このタイミングに神様がこの女預言者を起こしたのは注目すべきことでしょう。

 
○断食と祈りで仕える

  アンナはアセル(アシェル)族の娘で、7年間の結婚生活の後にやもめとなり、エルサレムの宮で幼子イエス様に会った時は、84歳になっていました。(ルカ2:36-37)アセル族は、失われた十部族の一つでありましたが、このことより、当時まだその部族の中には生き残った者たちがいて、家系を保っていたことがわかります。
 
「宮を離れずに夜も昼も断食と祈とをもって神に仕えていた。」(ルカ2:37)と記されていて、アンナは常に熱心に宮で礼拝をしていた姿が伺えます。当時は宮で仕えていた祭司やレビ人などがそれぞれの活動をしていましたが、彼女の場合は「断食と祈りとをもって」神様に仕えていたという点が特筆に当たることだと思います。
 
この祈りで仕えるということの重要性は、現代に生きるクリスチャンにとっても非常に考えさせられます。教会に通い、教会の様々な目に見える奉仕をすること、これらはとても重要なことですが、本来神様に「仕える」ことはやはり祈りではないかと思わされました。祈りというのは、目に見えない活動で、すぐに結果が出ないことが多く、特に他者のためにとりなしの祈りを続けることは、労苦を伴います。私たちはすぐに「今何かしなければ、行動に移さねば」と動いてしまいがちで、イベントなどの活動をたくさんすることで神様に仕えていると満足しがちです。
 
一方で、現代の教会の中で祈祷会に人々がたくさん集まり、交代制であっても日夜祈っている教会がどれだけあるでしょうか。私自身も、祈りが足りない者であることを自覚しつつ、もっとアンナのように祈りで神様に仕えるように、聖霊により導かれていきたいと思わされます。

 
○アンナの感謝

  アンナが幼子イエス様に近寄って、神様に感謝を捧げた状況については「この老女も、ちょうどそのとき近寄ってきて」(ルカ2:38)と記されています。「ちょうどその時」とは、この直前にシメオンが御霊に感じて宮に入り、幼子イエス様を見て、この子が自身が死ぬ前に会えると示されていたメシヤだとわかり、神をほめたたえたところです。シメオンは「イスラエルの慰められるのを待ち望んでいた」(ルカ2:25)とありますが、この「イスラエルの慰め」とはメシヤによってもたらされる救いののもう一つの言い方だそうです。当時ユダヤの国が周辺の列強諸国により虐げられ、遂にローマ帝国の属国下となり、ユダヤの人々がその苦しい状況のなかで、彼らの問題を解決してくれる救世主を一層待ち望んでいました。
 
アンナは同じ宮にいて、ちょうどシメオンが神様をほめたたえ、預言をしていたことを近くである程度は聞いていたと想定できます。彼女が捧げた感謝の内容をルカは記していませんが、彼女は長年の祈りと断食の答え:エルサレムの救いをもたらすメシヤがこの幼子であると、聖霊に示されたからこそ、そのことを神に感謝したのではないでしょうか。
 
アンナの確固たる神様への信仰は、メシヤの到来を約束している聖書を全て信じていたことによると思います。神様の約束は必ず成就するという希望なくして、長年祈り続けることは難しいからです。ですから、この祈りの答えを目の当りにし、彼女はどんなに喜んで、神様に感謝を捧げたことでしょう。

 
○力強いキリストの証人

  こうして、アンナは幼子イエス様を見て、救い主がとうとう来られたということをエルサレムの救いを待ち望んでいるすべての人々に語り聞かせました。(ルカ2:38)この「語りきかせた」の動詞はギリシャ語で現在進行形なので、彼女の残りの人生において人々に語り続けたことになります。
 
  イエス様が公に活動をされる頃(約30年後)には、残念ながら彼女はもう生きていなかったかもしれません。すると、このイエス様の神殿奉献の時がアンナにとって最初で最後のイエス様との出会いだった可能性が高いです。
 
アンナのように、長年神殿で神様に祈り、断食して神様との時間を密に過ごしてきた女性だからこそ、キリストについて人々に力強く語り続けられたのだと思います。
 
私たちもイエス様に出会い、救いを受け取った直後は嬉しくて、この喜びを誰かに伝えたいと思いが強くなるもので、信じたばかりの人がより熱心に他者に伝道するということがあります。しかし信じた後、クリスチャンを何年続けていても、いつも新鮮な気持ちで、むしろ益々イエス様のすばらしさ、与えられた恵みを感謝し、その信仰が成長させられて益々力強く、イエス様を証し出来る者に聖霊の力で変えられていきたいと願います。アンナを通して祈りの奉仕に励み、忍耐を持って願いととりなしを神様に祈り続けていきたいと改めて思わされました。(口語訳)

 
”聖書の中の女性達8 アンナ” 「恩寵と真理」 2017年4月号 同信社 掲載


 

   
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