Praise the Lord 本文へジャンプ

(聖書の中の女性達  No.9)
  
 

 「サマリヤの女性:最初の伝道者」

 

○名も知られぬ女性

   今回取り上げる女性は「ひとりのサマリヤの女」(ヨハネ4:7)と記されるだけで、彼女の名前は記されていません。しかし、この女性を通して多くのサマリヤ人が主イエスを信じることになり、また現代に生きる私たちも主イエスとこの女性との会話を通して、救いの真理を教えられ、非常に重要な役割を担う女性です。
 
○嫌われた民の中で疎外されていた女性

   サマリヤ人とは、BC722年にアッシリアに征服されたイスラエルの住民が捕囚でアッシリアへ連れさられ、一部の残された住民とアッシリアてからの入植者との混血民族です。サマリヤから移された祭司のひとりが戻って来てベテルに住み、どのように主を敬うべきかを彼らに教えましたが、民はおのおの自分の神々を造り、主を敬いつつも同時に偶像を礼拝し、代々仕えていました(列王下17:24-41)。ゆえにユダヤ人はサマリヤ人を異教徒的とみなし、彼らと交際せず軽蔑していました。
 
このサマリヤの女性はスカルという町で、他の女性達が水を汲みにくる早い時間ではなく、暑い日中(ヨハネ4:6)に人目を避けるように独りで水を汲みに来ていた孤独な女性です。この後の会話からも、彼女が五回も結婚し、現在一緒に住んでいるのは正式の夫ではないことから、町ではスキャンダラスな女性として、疎外されていたことが想像されます。この女性は、結婚・離婚を繰り返すという心痛む経験をし、結婚生活に幻滅し、最後には同棲で良いという顛末になってしまったのかもしれません。しかし、主はそのような女性に目を留められる慈しみ深い御方です。
 
○日常の会話から真理へ

   主イエスは彼女に話しかけるとき、「水を下さい」と言われました。主はまず、この女性との話のきっかけを日常的な事柄で始められ、徐々に彼女の興味を引き出し、そして本質的な事柄に話を発展されています。これは現代に生きる私たちが福音を伝える上で、非常に有効な伝道の切り口として学ばされる点です。
 
 彼女にとって、この見知らぬユダヤ人の、しかも男性(この当時、ユダヤ人は夫婦以外の異性に公共の場所で気軽に話さなかった)が、汲むものも持たずに水を下さいと頼んできたことは、非常な驚きだったと思います。しかし、主イエスの呼びかけに怪訝に思いながらも応答した彼女の勇気と大胆さが伺えます。心の深いところでは暗闇を持ちながらも、彼女は全てを明らかにして下さるメシヤを待望する信仰心は持っていました。(ヨハ4:25)   

 「私が与える水はその人の内で泉となり、永遠の命にいたる水がわき出る」(ヨハ4:14)。ファリサイ派のニコデモの時もそうですが(ヨハ3章) 、主イエスの霊的な話をこの女性も理解できませんでした。「永遠の命にいたる」という部分を全く無視し、あたかも渇くことのない、汲みに来なくても得られる魔法の水というような理解で「その水をください」(ヨハ4:15)と言っています。
 
 そして、主イエスから唐突に「あなたの夫」という、一番触れられたくない部分に話を問われた時、今一緒にいるのは正式な夫ではない為「夫はいません」と彼女は答えました。彼女は、主イエスが彼女の過去を明らかにされたことで、預言者と信じたのではないかと思われます。
 
 しかしこの話の展開は、彼女の問題の真相に近付くためでした。その問題とは彼女の霊的な飢え渇きです。イエス様は、彼女の渇きを満たすことができるのは男性でもお金でも何ものでもなく、命の水であることを彼女に啓示されるため、夫のことを持ち出されています。人は、何かを求めて飽くことなく追及しますが、この世のものでは決して心の渇きを満たせないのです。主イエスがサマリヤを通らなければならなかったのは(ヨハ4:4)、サマリヤにも福音を伝えるため、神様の賜物:生きた水について告げ知らせるためでした。
 
○真の礼拝

   ここで彼女は自分の個人的な事から、両民族の対立問題へと話題を変えています。「わたしたちの先祖は、この山で礼拝をしたのですが、あなたがたは礼拝すべき場所は、エルサレムにあると言っています」(ヨハ4:20)、つまり「どこで礼拝するのが正統なのか?」との質問を投げかけたのです。「この山」とはゲリジム山のことです(ヨセフス「ユダヤ古代記」によると、サマリヤのシケムという町の住民が、ゲリジム山にエルサレム神殿を真似て神殿を建築したと記す)。それに対して、主イエスは「霊と真理をもって父を礼拝する時が来る」(ヨハ4:23)と答えられます。この女性の優れた点は、正当なユダヤ教から逸脱してしまった環境にいながらも、聖書で約束されている救い主(メシア)を待望していたことです。
 
 イエス様は彼女のように飢え渇いて、真理を求めている人々を決して見捨てられない愛の御方であります。そして、弟子たちにも誰にもまだ御自身がメシアであることを表されていなかったこの時点で、彼女に「それは、あなたと話しているこの私である」(ヨハ4:26)と御自身を表明されたのは驚くべきことです。
 
○最初の伝道者

  彼女は主イエスに出会ってその場で大きく変えられた女性の一人です。今迄肩身の狭い思いで生きてきた女性が、堂々と町でイエスがメシヤではないかと告げ知らせたのです。町の人々も、この女の言葉によって、イエスを信じ、弟子たちをも受け入れて自分たちのところに滞在するようにと頼みました。つまり、彼女がイエスが救い主であると告げ知らせた最初の伝道者であり、そして人々は主ご自身からも直接聞いて、本当に世の救い主であると信じたのです。(ヨハ4:42)これは主が昇天された後、弟子のピリポがサマリヤに伝道に行った際に、この町の人々がイエスを救い主として信じる基礎となったことでしょう。(使徒8:5-25)  

このサマリヤの女性から学ばされることは、主イエスと出会って信じると人生が変えられる、つまり古い自分は死んで、キリストにあって新しく生まれることができることの証です。すると自分が体験した救いの喜びを、大胆に、速やかに周りの人々に告げ知らせたいとの思いがおのずと湧き上がるという現象を、特に新たに信じたばかりの人々の中に見られ、それによって私たち自身も励まされます。その際に、自分の身近な人々に、聖書の知識不足でうまく福音を伝えられない等と意識せず、祈って聖霊の力に頼り、大胆に単純にイエス様を証し出来るよう、祈り求めたいと思います。(口語訳)
 
 
”聖書の中の女性達9 サマリヤの女性:最初の伝道者” 「恩寵と真理」 2017年6月号 同信社 掲載


 

   
inserted by FC2 system