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Philadelphia Journal       Vol. 1  Feb. 2010

フィラデルフィアという街:意外に日本人とゆかりあり


「また、フィラデルフィアにある教会の御使いに書き送れ。・・・”わたしはあなたの行いを知っている。
見よ、わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。”」

    黙示録3章7-8節

 

写真右: 雪のフィラデルフィア


○明治時代の留学生たち、そして紀子さんも在住!?


 フィラデルフィアはアメリカ合衆国建国に深く関わる市で、“自由の鐘“等でも有名な古い歴史的な街である。建物は築
100年以上が多く、歩けば教会の建物にあたると言う程たくさん教会があるのは、そもそもヨーロッパ人のアメリカへの移住は、カトリック(旧教徒)から迫害されたプロテスタント(新教徒)が海を渡って新天地を目指して街を建設したという背景があり、歴史的・文化的にもキリスト教の影響が根強い。明治時代に日本からフィラデルフィアに留学していた人も多いそうで、内村鑑三、津田梅子(津田塾大学創始者)、そして野口英世もペンシルバニア大学で学んでいたとのこと。戦前から日本でも大学・学校や病院はキリスト教のミッショナリーが建てたものが多く(上智、立教、聖心、東洋英和、青山学院大学、聖路加病院等々)、日本人の設立者もアメリカで教育を受けた人が多い。

また、秋篠の宮様の奥方:紀子さんは、幼年期に家族でフィラデルフィアに住んでいたとのこと。お父さんの川島さんがフィラデルフィアの大学に留学した際、家族で紀子さんが7歳になるまで在米。ちなみに、私が4月からホームステイをさせていただいている日本人ご夫妻は、当時ご主人がペンシルバニア大学の教授で、ちょうど川島一家が渡米した際、日本人がまだ少ない中、彼らの生活の準備のお世話をされたり、また奥様が紀子さんにピアノを教えていたそうだ。後にそのご夫妻がアメリカで紀子さんの結婚のニュースを聞いた時は、超驚きだったとのこと。

フィラデルフィア在住の日本人はNYのような大都市に比べると少ないが、留学生や研究で大学に来ている方とその家族が多く、バブルの頃は駐在員家族も多かったが今は少ないそうだ。また、フィラデルフィア日本人会という大きな組織があり、毎年4月頃、“さくら祭り”という大規模なお祭りがFairmont Parkという大きな公園で開催されている。お花見がこちらでも楽しめるのは、日本人として有難い。

○フィラデルフィアと横田早紀枝さん(拉致被害者横田めぐみさん母)

2006年11月より3ヶ月間フィラデルフィアを訪問していた時、横田さんをはじめとする拉致被害者救済運動のドキュメンタリーフィルムがフィラデルフィアで上映されていてそれを両親と見に行った(当時日本ではまだ未公開)。その映画会に横田早紀枝さんがクリスチャンとなるのに関わった、当時新潟に宣教師として赴任していたマクダニエル宣教師夫妻が来ておられ、映画の上映後短くスピーチをされ、それが初めてお会いする機会であった。マクダニエル夫妻は日本から帰国後もこの近辺に在住。その娘さんは日本で育ち、後にアメリカで看護師となって今も活躍されているが、以前フィラデルフィア日本人教会に来ていたとのこと。私は正直、これまで拉致被害者の方々のことを詳しく知らなかったので、横田さん他共著「ブルーリボンの祈り」*1という本を読んでみた。彼女は娘が突然失踪し、絶望の淵のなかで自分も責めて自殺したいと思うほど苦しんでいて、多くの宗教が彼女に近寄ってきたとのこと:しかしどれも彼女の心を救えなかったが、友人から聖書を勧められその中のヨブ記を読むと:

「魂に響く、それも痛みをもって心地よくしみていくこの本は、なんという本でありましょう。いつの間にか、私の目から悲しみでない、不思議な感動の涙がとめどもなく流れてきました。人間の力のでは及びない、深く大いなるものを感じました。漠然とした神観念でなく、真実の神の存在が関わっていることを感じたのです。久しぶりに深呼吸ができ、空気が美味しいと思えました。」*2これをきっかけとして、このマクダニエル夫妻が開いていた聖書の学びに参加するようになって、信仰に導かれたとのこと。

「事件やその後の救出活動などを通して、確かに大変なところを通らされます。体も心も疲れ果ててしまうことは、今でもしばしばあります。悲しくて泣くことも・・・・。しかし、その中にあって、心の底はいつも平安でいられます。すべてをご存じの神がともにおられるからです。この事件がなければ、キリストに出会うことも、クリスチャンになることもなかったでしょう。私は、こうして長い年月、神に愛され、訓練していただいて今日があることを、本当に感謝しています。」*3

長年にわたる、国の政治をも動かす拉致被害者救出運動の中心人物の横田さん、どこにこんな強さがあるのかと思っていた。彼女を支えてきた強さと希望の源はここにあったのだと納得。

折しも3年後の2010年2月に、以前フィラデルフィアの日本人教会でも働かれたこともある、その後ニジェールというアフリカの国に医療ミッショナリーとして長年働かれていたYさん(看護師)とマクダニエルさんのお嬢さんが親友ということで、今回Yさんがフィラデルフィアに訪問していた際、私も一緒にタイ料理を食べに行く機会も与えられた。彼女は日本に小さい時育ったので日本語がぺらぺら、とてもパワフルな方で、今もこのフィラデルフィアの地にて横田さん達拉致被害者の方々のために祈り続けている。


○生活の準備と新しい交流


 アメリカに入国後
1月はのんびりしていたが、2月に入ると両親の日本帰国への引っ越しの荷造り、雪かき、教会の集会や、その他もろもろ忙しくなってきた。また、アメリカで生活をするために、こちらの運転免許証を再取得し(以前持っていたが日本にいる間に失効)、銀行口座を開き、車を購入。こういった手続きは、以前学生時代にアメリカで簡単にできたことであったが、今回は何にしても時間がかかった。16年前とは異なるのである。9/11以降アメリカは全ての面においてセキュリティチェックが、特に外国人に対しては厳しくなったように思えた。

用事の合間に、フィラデルフィアの友人たちに会ったり、ホームパーティ(アメリカではとても多い)や教会で行われている英会話教室を通じてこちらの在住の日本人とも新たに知り合う機会もあり、少しずつ交流の輪が与えられ感謝であった。また、日本への宣教師だったアメリカ人夫妻に出会えて、彼らの家でバイブル・スタディを日本人向けに一緒に始めることもできたのが嬉しかった。


2月の大雪

教会の駐車場雪かき
 2010
年の2月は February Fury といってめったにない大雪が東海岸を襲った。こちらは雪が降ることはあってもそんなに積雪する地方ではないが、初回は記録的積雪、続いて2月だけで3回降る。市が行う道路の除雪は、余りにも多い雪積量で、結局小さい道路の除雪が間に合わないという事態。道路は雪を捨てる場所がないと端にうずたかく寄せられているため、車道が減少し渋滞となる。ゴミ収集も一週間来ないので、雪の上に出しっぱなし。2月下旬ようやく雨が降ってこれらの雪が 解けたと思うとまた次の積雪。学校もそのたびに休みとなり、近所の子供たちはシャベルをもって雪かきのアルバイト稼ぎへと、うれしそうに歩いていた。

ここの法律は、自分の家の前の歩道は必ず雪かきをしなければならない。我々はコンドミニアムに住んでいたので、そちらは業者が対応するが、両親の仕えている教会の敷地内は結局、父と私の二人で、近所の学生や教会のメンバーの親戚の人をアルバイトで雇って人海戦術で雪かきをすることとなった。教会のメンバーは高齢者が多く、雪かきをする体力の方はいない。教会の敷地は広く、特に駐車スペースは雪かきするのが大変であった。ここの地区は普段これ程雪が積もらないため、定期的に業者に雪かきを頼まず大体自分の家の周りは自分たちでかくのである。そのため、今回急に業者に頼めるほど業者がいないのである。礼拝には、皆さん車でくるので駐車場の除雪をしなければと、父と必死で腿の高さまである雪をシャベルで除雪。こんな重労働は初めてであったが、幸いこちらにきて体力も与えられ、体調もよかったため数時間の雪かきは、適度な運動となり、筋肉痛程度で疲れていないと当初思っていたが、やはり後から胃腸に異変がきて1−2日寝込む。無理をするなと散々両親に言われるが、どうも手術前と同じように活動してしまい、体がついていかないので、後でダウンするのである。見た目は健康で普通に食べられるが、以前のようには体が作動しない。どの程度活動したら体に負担がないのか、なかなか学習できないのが悩みである。

冬季オリンピックの開催地では一時雪がたりないと言われていたほど、地球温暖化現象が叫ばれる昨今、フィラデルフィアの冬はオリンピック会場に雪を移送したいほど雪に恵まれた。こんな大雪だったからこそ、春の訪れが待ち遠しい。

*1 横田早紀江 彼女を支える仲間たち 共著 「ブルーリボンの祈り」  いのちのことば社フォレストブック 

*2.*3 横田早紀江 「この海のむこうに」 全国家庭文書伝道協会



   
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