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Statement of Faith
                      

(写真上:カルバリーチャペル、宣教カンファレンス@カリフォルニア Jan.2014 ルームメイト達と)


*アメリカでの日本人向けミニストリー  2015年秋現在


「陽子ちゃん、正式にうちの教会の宣教師になったらどうかな。」2013年、日本の私の母教会であるカルバリー・チャペル国分寺(ジーザス・コミュニティ)の牧師が、私が既に、神様の恵みで続けさせて頂いたNYでの活動を実際来て見て、そう勧めてくれました。宣教師というと、フランシスコ・ザビエルみたいな、西欧からアジアやアフリカの未開の地に送られるというイメージがありますが、宣教師というのは、その人が属している教会から海外での伝道する役目を任されたと、本人がまず神様からはっきり示されて、教会がその人の上にある神の恵みと信仰を見て、その人を海外に送り出し、サポートします。よっての場合は日本から、アメリカNYの日本人にキリストを伝えるために送られた宣教師なわけです。今まで小規模に自分の身近でキリストを伝えたい、聖書を解き明かして聞く人々に仕えたいという思いで、神様に祈りつつ、普通にアメリカで生活してきました。実際、宣教師というスールではないのですが、日本の教会のそのオファーは非常に心強く、有難く感謝して受け取ることにしました。そしてその秋に日本に一時帰国したときにも、牧師がそのために必要な研修をして下さり、アメリカでの宣教師のカンファレンスにも参加させて頂きました。(上写真)


私の場合は、平日は企業で働き自活する傍ら、伝道活動をしていますので、フルタイムの宣教師ではありません。もちろん、日本の教会が私のミニストリーのため祈り、サポートして下さ非常に感謝していますし、私のようなふさわしくない者になぜなんだろう?と思うこともあります。しかし聖書では、資格のない、ふさわしくないに与えられる神のプレゼントを”恵み”と言いますので、その恵みを感謝して受け取ろうと思います。初代教会(AD1世紀頃)の信徒達は皆普通の人でしたし、神学校はありませんでした。ただ彼らは自分達の生活の中で、使徒達から聖書を通して教えられたことを忠実に守り、伝道し、世界に教会が建て上げられていきました。彼らはイエス様の命令「行ってあらゆる国の人々を弟子としなさい。」(マタイ福音書2819節)を聖霊の上からの力を与えられ、地の果てまでもイエス様の証人となっていったのです(使徒行伝18節)。一人一人が、タイトルがなくてもそれぞれのおかれた生活空間で伝道者でした。私のスケールは小さくターゲットが絞られていますが、シンプルにイエス様を今おかれた場所で、証ししていく、宣教師よりも、もしタイトルをつけるとしたら伝道者を目指したいと思います。


そもそも、神様が私をアメリカへどう呼ばれたかという経緯はとても不思議でした。私は若い頃アメリカで留学し、学校を卒業したあと国連のような国際機関で働きたいと思って2年半NYに住んだことがあります。しかし就職はうまくいかず、その頃の私は信仰が不安定で、イエス様を個人的に信じることがよく分からずに教会に行っておりました。NYCという街は、世界中から成功するために、夢と野望を持って人々が集まる場所ですので、私はその街をおおっている自己実現のエネルギーみたいなものに飲み込まれそうでした。楽しそうな娯楽もみな一時的でむなしく、仕事も恋愛もうまくいかず、そうしたくなくても人を傷つけ自分も傷つき、人生のどん底、NYで生きているのが辛くなり「もう帰ろう!」と日本へ帰国したものです。ですから2度とここには来ない」と思う程、NYにはトラウマがありました。


ところが、その後私の父がアメリカのフィラデルフィアの日本人教会で牧会をする事になったことで、再びアメリカにつながったのです。その頃には東京の桜井知主夫牧師のカルバリーの教会に導かれ、そこで信仰の回復が与えられ、みことばで養われ、以前とは異なりはっきりキリストの為に生きたいと人生が変えられていました。日本の教会で仕え、サラリーマンをしていましたが、ある時休みを取り3ヶ月間だけフィラデルフィアの日本人教会で両親を手伝うという機会がありました。その時ふと「またアメリカもいいなあ。今度住むとしたら、目的は在米日本人に伝道したい。」と思いました。しかし神様のタイミングというのは、私や人の思い・計画を超えていて、アメリカ永住権が抽選で当選したのはそれから約3年後でした。それを神様がアメリカへ行けと導いていると信じ、父の後任の牧師夫妻と協力してフィラデルフィアの日本人教会にて仕えようと、再びアメリカに移住したのです。


フィラデルフィアの教会では、子供向けの教会学校で教えたり、月に1−2度女性向けや学生さんむけのバイブルスタディにて仕えさせていただきました。アメリカ人と結婚した日本女性など、クリスチャンもまだ信仰を持っていない方も、気軽に集まり、お茶を飲みながら楽しい会を持てたことは感謝です。また、学生さんからの聖書を学びたいという要望があって、その方が何人かお友達を連れてきて、市内のカフェで学ぶ機会も与えられました。しかし学生さんはみな卒業すると、よそへ越していってしまうので安定して人は集まることは難しかったです。

 

ある時、NY在住の頃にお世話になったNY日本語教会のメンバーで、JCFNJapanese Christian Fellowship Network)NYの幹事をしている方より、その定例集会で私に証しをしてほしいと、2011年の5月にNYへ招かれました。その開催場所は以前一時通わせて頂いた、マンハッタンにある日米合同教会でした。証しの後 懇親会があって、数人のNY在住の日本人方々と話しているうちに、昔のNYでの自分を思い出したのです。「ここには以前の自分のように、家族もなく単身で、孤独やむなしさを抱えながら、自分の力で頑張っている人が多いに違いないそのような方々にイエス様を信じて従う人生の喜び、希望を伝えたいなあ」という思いがこみあげてきたのです。しかし、その時はNYエリアには既に日本人教会が幾つもあり、フィラデルフィアの私が何も出て行く必要もないかと思いつつも、その思いを神様に祈っていました。


その2ヶ月後、フィラデルフィアの学生さんで、私の開いていた学生向けのカフェでの聖書の学びに来ていた方が、仕事でNYに移りNJの日本人教会に通い始めました。彼女はちょうどその頃に洗礼を受ける決心をされて、聖書をもっと学びたいと飢え渇きがあったようで「陽子さんのやっていたようなバイブル・スタディが平日にない」と連絡してきました。私はそれを、5月から私が祈ってきたことへの神様からのGOサインと受け取りました。そして9月から日帰りで月2回金曜にNYのカフェで学びをしようと提案し、その方はとても喜んで他のを誘って来てくれました。更に道が開かれたのが、日米合同教会でお部屋を11月から貸してくれるという紹介までして頂くことになり、月2回そのうち3回と増やし、口コミで人が集められました。集まった人々は毎回学びに参加して、とても喜んでいたことが、私の喜びでもありました。集会が終わって真夜中にフィラデルフィアの駅に降りても(非常に治安が悪いところでしたが)一度も危ない目にもあわず、パートタイムの仕事と両立し続けることができたのは、皆様のお祈りとサポートによります。折りしもNYの二つの日本人教会が専任牧師がいない時期であって、日曜ごとにゲストスピーカーや信徒で礼拝を守っているとのことで、時々私も日曜のメッセージを依頼されました。こうして、フィラデルフィアから日帰りで始めたNYでの聖書の学びの会が、2013年からフルタイムの仕事がNYで与えられ、引越し、NYで伝道活動が出来るように道が開かれたのは驚きです。


 NYに越してからは、金曜夜の集会に加え、不定期にクリスチャン女性のお宅で家庭集会開く機会も与えられました2014年前半には、一般の方もアクセスしやすいよう、集会用にマンハッタンの街に会議室を借りました。集会をパブリックの場所で開催することで、新たな日本人へのアウトリーチが祝福されるよう、Web上の情報サイトに広告を掲載しました。誰でもアクセスしやす、カジュアルに聖書やキリスト教に興味がある人が来て欲しいと願っています。また、NYの地元の教会(Harvest Christian Fellowship NY)に日曜は通い、そこでのフェローシップや集会にも参加しながら、徐々にですがこの教会の体の一部として仕えていきたいと願っています。

 2014年の7月以降は、マンハッタンに住む日本人の女性(NY在住60年以上!)が、毎金曜日夜にご自宅のリビングを開放してくださるという嬉しいオッファーをしてくださりました。おかげで、よりアットホームな形で、食事を共にし、聖書の学びをする機会が与えられ、神様の不思議な導きに感謝しております。レギュラーのメンバーの他に、時折NYへの旅行者や、NYの語学学校に学びに来たばかりの方など、日本で福音を聞いたことがない方々がこの会に送られてきて、みことばの種まきができることも感謝です。


私の生活スタイルのモデルは初代教会の信者、心のモデルはイエス・キリストのようなハートを持ちたいと、チャレンジは壮大です。ですから聖霊の力で、自分中心の心からキリストの愛の心に変えられてほしいと日々願います。これから神様が導く方向へ、神様のなさりたいことをキャッチして、信仰で踏み出し結果的にNYで伝道の機会がもっと広がってほしいと願います。平日仕事をしているので、時間は限られ、小さい集会ではありますが、呼ばれればどこへでも出かけ、キリストを証ししたいと願います。自分の先のことはあまり考えません。「老後をどうしよう。。」「病気になったら。。」と思うことはないのです。なぜなら、その時その時に必要なことを神様が備えてくださり、助けてくれるという確信が与えられているので、なんと幸いなことでしょう。それは、適当に不安をごまかして刹那的に生きるのとは異なります。以下のような聖書のことばが今まで神様によって生かされてきた自身の経験と信仰により、不必要な思い煩いから守られているからです。

何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。
(ピリピ人への手紙4章6-7節)

よく、「いつまでアメリカにいる予定ですか?」と聞かれます。答えは「わかりません、まあ、神様が何かのタイミングで、また別の場所へ動くように事を起こされると思いますので、それに従おうと思います。それが他の州か、日本なのか。どこへ行っても、ローカルの教会で一信徒として仕えることができます。また、ある時期は健康でなかったとしても、それはそれで神様の許しの中で全ては起こると信じていますので、”今”与えられている時にやるべきことを全力を尽くしてやりたいと、そうシンプルに思わされます。私は人間的にも、伝道者としても開発途上ですが、神様に感謝をもって祈り願えば、物質的にも霊的成長という面でも必ず必要を備えられ、主の平安が心を守って下さるという約束を信じます。また、どこへ行っても神様が共にいて助けて下さることをいつも心に思い巡らし、NY、日本、そして世界で神の国(神様を信じる人の心)が広がってほしいと祈ります。


     柴川 陽子
 

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