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Statement of Faith
                      

今後の活動 2016年1月



「こうして、ペテロは獄に入れられていた。教会では、彼のために熱心な祈が神にささげられた。」使徒の働き12章5節

 今迄続けて来たことをいったん辞めるというのは、大きな決断です。仕事でも、趣味でも、教会活動であっても、余程のことがないと責任もありますし、祈って、聖霊の助けを求めつつ、なんとか頑張って続けてしまうことはないでしょうか。

 この1月に神様は私に一つのことを状況で示され、宣教師というポジションを辞めるという決断に導かれました。昨年の夏の検診ですでに色々出ていましたが、さらに今回の年末の検査で良くない結果がでました。人から見れば元気そうで、今すぐ死ぬような病気ではなく、たいしたことないのですが、私の家族と一部の事情を知る友人達はとても心配してくれています。これ以上悪化しないようにするには、今までの生活を変え、休むことしかない胃の病気なので、無理をせず、ストレスの原因をできるだけ少なくしていくしかないと、と医者から釘をさされました。

 ストレスといっても、世の中に生きている限りストレス・フリーは不可能です。しかし胃がこんなになるまで、また私の場合既に胃癌になったこと経歴がありますので、繰り返さないという目的のために、改善策はとることは懸命です。何がストレスの原因かはわかりませんが、わかることは、NYに来る迄はこの所見はなかったので、NYに来てからの生活が体にかなり負担をかけてきたのでしょう。胃の自覚症状はづっとあったのですが、手術の後遺症で仕方がないのかと放置してきました。

 2013年から日本の教会から宣教師として支援して頂き、祈っていただき、たくさんの祝福を神様から頂いて、その恵みに感謝しています。一方、こちらでは様々なことを独りで抱え込まざるをえない状況にあり、心身ともについていけなかったかもしれません。また、日本人ミニストリーに時間を割くと、地元のNYの教会に通っていてもお客さん状態で、どこの教会にも属していないという孤立感が高まり、誰にも理解してもらえない、神様だけという状況で、いつも神様に辛くて泣いて祈っていた時期がありました。これは私の弱さでもあり、やってみた結果こうなってしまったので、体を壊してしまったことは全く後悔していません。ただ、ここで一度仕切りなおすということに、祈って平安が与えられています。

 感謝なことに、現在の会社勤務はストレス・フリーで恵まれています。そこで今迄通り働きながら、日本の宣教師を辞任し、NYで開催してきた聖書の学びの集会を減らして、ペースを落として伝道活動を続けようと決断しました。そして孤立しないように、NYのハーベスト教会に属して、教会の人々に小さいことでも仕えていきたいと願っています。この教会には、2013年の秋から通いながら、キリストの体として属していきたいと今迄祈ってきましたが、最近ようやくそれがかなえられきたことは本当に感謝ですし、神様は私のような弱いものにも、私が潰れないよう助けの道を与えてくれる、優しい方だなと思わされます (「試練における兄弟愛」 PTLジャーナル参照)

 人には「神様に委ねて、任せましょう、思い煩うのをやめよう」と、聖書を通して教えていたり、HPに書いておいて、自分が思い煩って胃を痛めつけていたことがばれてしまいました(笑)。 宣教師どころか、キリストを信じる者として全く失格です。いつもだったらどーんと落ち込むのですが、今回は昨年から今後のことをづっと祈って来た事の答えとしての平安があり、また、タイムリーに聖書のことばとそのデボーションが与えられました。もう自分はだめだ、終わりと思ったとき、終わりじゃないと。「終わりになるまで終わりではない ( "It isn't over till it's over")」 * 私のために祈ってくれる人々がいるという希望と励ましがあることを。神様に体を癒やして下さるよう祈り続けようと思います。たとえ物理的に、精神的に鎖でつながれていたとしても、神様は必ず私を開放してくださる方です。幸いなことは、私の働きの量が減っても、宣教師でなくても、人がどう評価しようとも、神様の私に対する愛は変わらないという安心があることです。いつもイエス様にあって希望があり、私のために祈ってくれるキリストに在る兄弟姉妹がいてくれるという、祈りの力に非常に励まされ、体が続く限りこれらかもキリストを証していきたいと願うものです
*Greg Lauri; Daily Devotion on January 26, 2016 ”When Things Look Bleak” より
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