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MY通信 My Journal

「退院から自宅療養へ 緊張がとかれ落ち込む時期」
手術もとりあえず成功、体は少しずつ回復へ。一方、疎外感・孤独感を感じてしまう時期
Dec. 2008, Vol 3


○食事こと始め ぐぐぐと音をたてる胃。流動食から全粥食へ 


 手術後5日目の晩から流動食。新しい胃腸にとって初めての食物!恐る恐る一口食べる。3種類のおわんに3種類の味。甘いネクターみたいな液体、粥の汁、 芋の味噌汁味の液体。初回だから様子みないとお腹が下るらしいので、ほとんど残したが、ああ、食べられている、感動じゃ!これから毎回食後に消化剤の薬を処方される。なんと、初めての服薬を飲み間違い、一度に三倍の量飲んでしまった!1日三錠を一回三錠と思い込み、飲んでから“おお ヤバい”と気が付いた時には手遅れ。ナースも先生とも唖然!やっぱりボケてしまったか?! 早く退院してリハビリしなくてはと落ち込む。
 流動食  3分粥食
手術後6日目の
晩から3分粥食。
粥と煮物、ヨーグルトがでた。こんなにいきなり食べていいのか?胃腸が音立てて興奮しているようだった。念のためそれぞれを少し食べて残した 美味しい。食べ物がこんなにおいしいと感じる感動を味わえるというのはいいことだ。胃の上部と小腸を上に引っ張ってきてつないであるので、一口食べるたび、左胸のすぐ下の横腹がぐぐぐとなる。今までの胃の位置と違うので変な感じがした。ぐぐぐと本当に音を立てるのである。かわいい胃だと思った。翌日、便が初めてでたが下っていた。しかしその後すぐに便が出なくなってしまい、痛いから踏ん張れないし、座薬を使用。なかなかうまく機能しない、胃腸大変そうだねーがんばれ!おやつが三回でる。一日6回にわけて食べるという分食方式。甘い物が好きな私は、おやつが3回食べられるというこの上ない至福!食事が美味しい手術後7日目の晩から5分粥食、そして8日目の晩から全粥食と粥の密度が重たくなっきて、おかずも白身の魚がでたり、バラエティに富んでくる。おやつ以外の食事は半分しか食べられなかったが、毎回の食事がとっても楽しみであった。胃癌とはいえ、私のように元来食べることが好きな人は回復が早いのかもしれない。

○お見舞い、メイルや手紙による励ましのメッセージに支えられた日々、同室の患者さん達との同士意識のめばえ


入院期間は12日であったが、その間、たくさんの方々からお見舞いを頂き、メイルや手紙による励ましのメッセージを何度も送って頂いて、どんなにか励まされ、嬉しかったことか。有難かった。
みんな、私が予想以上に元気なのを見て安心していた。胃癌の手術後というと、げっそり顔色悪い人を想像するのであろう。しかし、私の場合、手術前と後では体重も2KGしか落ちていなかったのは、入院前にたくさん食べて体力が付いていたからだと思う。
  
私のベッドの周りにはたくさんのお花が飾られ、回診に来た副院長先生が、「うわ〜お花畑みたいだね、見ていると癒されるよ」とおっしゃったほど。主治医の先生より、食事が始められて問題ないのを見て「もう来週退院していからね」と言われ、早速11月27日に退院することに決めた。手術後10日目で退院できるというのは順調。一方、病院では
夜あまり眠れず、眠剤を何度か処方してもらったほど。家に帰ればゆっくり寝られるだろうと期待し退院が待ち遠しかった。幸い時間がたつのが早かった。また、食べられるようになってくると、ようやく同室の患者さんたちの様子を観察できる余裕がでて、言葉を交わせるようになった。最初私の世代は誰もいなかった。みな60〜80歳代。私の手術後4日目に緊急入院で運ばれてきた女性は、私より若い方だった。腸捻転?の再発らしく、とても苦しそうだったがその日中に手術を終えて、数日後に互いに言葉をかわせるようになった。入院中に、他の患者さんとお互いの病気のことを話すことは、ある意味互いにがんばろうと励ましになったり、一方、私の親や祖母の世代の患者さんからは、今までの何度も手術や大変だった胸中を聞いたり、互いの情報交換にもなった。世代を超えて、病気を乗り越える同士のような、仲間意識が短期間でも生まれるというのが不思議であった。退院までに二人の患者さんとは連絡先の交換をした。 


○自宅療養中、19日間母が側にいてくれた有難さ。

11月27日にいよいよ退院!アメリカにいる母が急遽、29日から約3週間帰国して面倒を見てくれることになった。アメリカの日本人教会の牧師である父がその間一人になってしまい、父は母と二人三脚で教会に仕えなければならないので先方に迷惑をかけ申し訳ないと思いつつ、感謝してこのときは甘えるしかないと受け取った。母がいてくれると家事だけでなく、一緒に食事し話す相手がいるということが有難かった。一人暮らしの私は、妹がたとえ昼間毎日寄ってくれても、後の時間は一人になってしまう。大人なんだからそれくらいと、健康な時は思えるが、こういう病になると退院直後は特に精神的な支えが必要だった。食べることに関しては、病院でうまくいっていたようにはいかなかった。自宅で用意する食事は、退院前に管理栄養士の方から食事指導を受けて、何をどの時期に食べていいかと一年間のスケジュールが決まっていて、それにそって徐々に食べていくことになっている。しかし、どんなに柔らかいもの、消化いいものを食べても、その時の調子によって先生の予告していた、“痛い目に会う”のである。つまり、ものすごい胃痛が起こり、吐くまで1−2時間胃液を吐く。ようやく少しだけたべたものを吐き出してようやく胃痛が収まる。元来早食いであった私にとって、よく噛み、時間をかけて食べなければならないというのは、非常に骨のおれる訓練であった。しかし、吐いても吐いても、一日6回に分けて食べた。体のほうは、退院直後、15分駅まで母と歩いただけで、疲れて帰りは買い物をしてタクシー帰るほど体力が落ちていた。しかし、徐々に少し家の周りを散歩し始めると、一日一日と疲れなくなってくる。


○一人になった時。社会からの疎外感、孤独感と向き合う時


退院直後も、職場の方々、友人、叔母たち、私を小さい頃から知っている両親の教会の方が家にお見舞いに来てくださった。こんなに、みんなに良くして頂き、励ましを与えられ嬉しかったし、感謝でいっぱいであった。にもかかわらず、次第に暗い気持ちがわいてきたのである。ある意味、今まで入院・手術・退院と一ヶ月弱の間、ものすごい緊迫感で走ってきたのかもしれない。その緊張感が解けてほっとした一方、色々考え始めてしまったのである。信仰によって支えられてきたはずなのに、それも薄れてしまったかのようだった。手術で胸からおへその上まで約10
CM切り、内臓の中身を切ってはるという大手術だったわけで、それがくっついて内臓が安定して機能するまで3−6ヶ月はかかるとのこと。職場に戻るといっても、お腹の傷の関係でしばらく自転車に乗って利用者さんを訪問するのは厳しい。また、胃をほとんど取った分その空間が内臓にできているせいか、毎朝おきると日によって背中・横腹・前腹と筋肉痛のような痛みがある。退院してから受診した際、先生のその症状を話すと、おそらく内臓をかばっているから筋肉痛だろうと湿布を処方してくれた。寒いと傷口も傷む。本当に仕事に復帰できるんだろうか?もし、現在の職場を続けられなくなったら、職を探すとしても胃ガンの既往のある人をだれが雇うんだろう?何年もたって再発がないとわからないかぎり、健康であるとみなされず、雇用主は雇わないだろう。また、精神的な励ましであった教会の人達・友人達からのメイルや電話の連絡が、退院後まばらになると、自分は社会から忘れられている感覚に陥るのである。自分のことを影で祈ってくれて心配してくれていると頭ではわかっていても、目に見える慰めを求めてしまう自分が情けなかった。妹にそのことをぽろっと話すと、「お姉ちゃん、病気が病気だけに人からの慰めを求める気持ちはわかるけど、世の中の人は、自分が思うように慰めてくれたり、声をかけたりメイルはしてくれないよ。みんな自分のことで精一杯なんだから。」そのとおりだった。はっきり言ってくれる妹こそ、私のことを心配し、母が帰国した後も毎日のように家に来て助けてくれていたのだ。自宅療養していると、社会から離れた疎外感・孤独感を感じてしまう時期であった。こんなことをふと考えて、涙が出てくることが多かった。そういえば癌と言われてから、今までほとんど泣いていなかったとに気づいた。ここにきてこんな落ち込むなんて、今まで自身を支えていたはずの信仰はどこへいってしまったのか?と悲しくなる。精神的に落ち込むと、今まで食べられていたもの、同じ量でも胃痛を起こして吐き調子が悪くなる。その週体重も落ちる。胃というのは思った以上に気持ちと連動しているのであった。このままではいけないと思った。



   
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