Praise the Lord 本文へジャンプ
MY通信 My Journal


"胃切除後に迎えるお正月… それは食欲との戦い?!" Jan. 2009, Vol 5


○メタボ検診にむけての努力もむなしく、癌になる時は なる



「お姉ちゃんが、胃がんで胃を取ってしまわなければならないなんて、食べることがあんなに好きなのに、皮肉だよね。まっ、少しこれで自重できるし、ダイエットも必要もないし、かえっていいかも。」
と妹に言われる程、私は元来おいしいものが食べることが私の喜びだった。女性のわりに洋服や身なりをかまうより、食べ物にお金をかけるほうが多かった。“何を食べようか〜何を今晩作ろうかな〜”と大して買わないのスーパーに入ってぐるっと一回りするのを楽しむ。友人達と外食することが好きであったし、スタバとかに入っておいいしいカフェオレとちょっとしたデザートを食べに立ち寄ったりするのを好む。一方、自宅では基本的に自炊。自分で冷蔵庫にあるあり合わせで、手軽に自分が食べたいものを作っていたし、市販のお弁当や総菜については合成着色料や保存料の味が気になり、職場には自分でお弁当を作っていくほうであった。もちろん、レストランで出される食事・パン屋の菓子パン・デニッシュ・デザート類は自分で作れないものとして、大いに堪能する。

普通に食べていたつもりだが、年齢を重ねると代謝が悪くなるので、運動をしない限り食べれば食べるほど、体重は徐々に増える。「まっ、しかたないか、忙しいし」と運動も20代の時のようせず、自然に任せていた。しかし、実は自身がメタボに入りそうだとはっと気がつく。うーん、お腹周り、中年の体系。これはまずい。そして一大決心をし、5月の検診に向けてスポーツクラブに通うことに2008年の1月末に決めたのである。確かに、軽い運動を継続してすると、体調が良くなり、冷え性・かぜをひきやすかった体質・便秘等がみるみる改善された。また、食事も脂っこいものを控え、肉・魚の調理方法を変え、豆腐類・野菜・きのこ類ととてもヘルシーな食事を自分で作って食べていた。そして、5月の職場での検診ではみごとメタボ検診をパス!これも食べることに執着する私だから、色々何を食べようか何カロリーかと拘れたのかもしれない。しかし、その後胃癌になるとは夢にも思わなかったし、結局、癌はどんなに食生活・運動に気をつけてもなる時にはなるのである。癌はストレスも大きな要因といわれる。しかしストレスがどこでかかっているかも100% 自分ではわからないし、ストレスためないようにで気をつけたとしても完璧には防げないのである。

○個人の健康に対してきめ細かな政策をする日本…メタボ検診、医療・介護保険制度の恩恵

職業柄、利用者さんの生活歴と既往歴を聞くたびに、やはり糖尿病・脳血管性疾患等生活習慣病は日ごろの食生活・喫煙・飲酒・ストレスからきていることは統計的にも明らかであった。厚生労働省が打ち出した、いわゆるメタボ検診が20084月より始まったことは、確かに国家の医療費を抑えるためには未然に国民の病気を防ぐ生活を推進することはいいことだと思っていた。自分が国の政策にのせられる一方、個人の食生活をウエストを測ってまで管理する国、日本国民はそれに対して文句を言わずに従う、おとなしい国民だと思った。もし西欧諸国でこの政策を打ち出したら、人権侵害・プライバシーの侵害を訴えられるだろう。また、日本の介護保険・医療保険制度についてはたくさん問題があるが、実はあの超大国のアメリカには国民皆保険制度は存在しないのである。低所得者層・生活保護世帯には病気になった場合の無料もしくは定額で医療・介護が受けられる制度があるが、それ以外の人々は自分で任意に民間保険に加入しなければならない。お金持ちは高い保障の保険に入れるので、高度な医療を受けられる。困るのは中間所得層。自由診療報酬なので、病院によって同じ治療でも値段が違う。私はアメリカに在住していた時、病気になって病院にだけは運ばれないようにと気を張っていた。なぜなら、病院によってものすごい高い医療費を請求されるのである。(実際、私はニューヨーク市内の某皮膚科に初診でかかり、親足の指の爪をきってもらっただけで12万請求されました!)日本のように、一部の特殊な医療を除き、1−3割で全国一定の医療報酬(医療費)にて医療が受けられるということは、実は恵まれているということに、多くの日本人は気づいていいないのである。

○お正月…それはご馳走のオンパレード。食欲との戦い

写真は妹夫婦宅でだされたおせち料理

年末にスーパーに行くと、師走時のごちそうの大がかりな売り出し。おせち料理、揚げ物の盛り合わせ、お寿司、蟹。。。日本全国お正月だからおいしいものを食べようという意気込みが感じられる。退院時に管理栄養士さんから指導された表によると、1ヶ月後にはお餅と普通ご飯は食べてよいという予定になっていた。ちょうど、私の退院が11月末だったからお正月の時期に少なくともお雑煮は食べられるかもと思っていたが、手術直後はお腹もすかなかったし、消化管再生が必死だったのであまり食べることには執着はなかった。手術がうまくいって、少しでも食べられるということがこんなに感謝なことなのだと感動していた。

しかし、人間の欲望というのはつきないもので、だんだん1ヶ月たってくると胃も働くようになり、少しづづ食べる種類が増えてくると、食欲が戻ってくるのである。大晦日とお正月、妹夫婦の家に招かれ楽しいお正月を過ごせた。胃切除後、初めてお餅を恐る恐る食べたが、胃はグーとノーサインをださなかった。1ヶ月たって胃も成長してきたのである。すごい!そしておせち料理のお重を見て、食べられそうなものを物色。伊達巻、里芋の煮物、焼き魚、栗きんとんと少しづつゆっくり。おお!おいしい!正直こんなにおせち料理がおいいしいと思ったことはない。幸せだった。病気の後は、いつも当たり前に思っていた小さいことに感謝できる。これからは、あまり食べることに執着せず、シンプルに感謝してに食べようと、年の初めに決めた。ある程度は必要かもしれないが、どうしたら健康を維持できるかとあくせくしても、病気になる時は突然病気になるのである。


聖書にこんな言葉がある

「いのちのことで何を食べようかと心配したり、からだのことで何を着ようかと心配するのはやめなさい。…あなたがたのうちだれが、心配したからといって自分の命を少しでも延ばすことができますか。…しかし今日は野にあって明日は炉に投げ込まれる草をさえ、神はこのように(百合の花が自然に育つように)装って下さるのです。ましてあなたがたには、どんなによくしてくださるでしょう。ああ信仰の薄い人たち。」ルカの福音書122228

「食物によってではなく、恵みによって心を強めるのは良いことです。食物に気をとらえる者は益を得ませんでした。」へブル人への手紙139

聖書を順々に読んでいると、狙っていたかのように、ちょうど私の状況や心境に当てはまり、グサットくる警告みたいな戒めみたいな箇所に当たることがある。もちろん、たくさんの励ましや有難い箇所のほうが多いのであるが、今の私にちょうどこれが与えられた。自分の経験からしてそのとおりだと思った。いくら自分で努力して健康管理しても、結局、癌になることは避けられなかった。これからは、少しでも食べられる時はもちろんのこと、また食べられない状態になったとしても、今“生かされている”ことを当たり前に思わず、神に感謝をしようと思わされたのである。


次の懸念は仕事復帰について。18日の受診で先生と相談し、職場とも相談…。未だに傷と、お腹・背中の筋肉が少し痛む。あせってはいけない。。。




   
inserted by FC2 system