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PTL Journal

メンタルヘルス 落ち込んだ時 July 18, 2009, Vol 10


○落ち込んでしまった?!


今まで順調に回復してきたが、最近メンタルで落ち込んでしまったのである。それに対してどうしてきたかを恥も外聞も捨て参考に綴る。

胃癌で手術してから半年経って、食事もほぼ何でも食べられるようになり、体重も手術前に戻った。つまり、栄養を問題なく吸収し太れるまで身体が回復したということは、非常な感謝。しかし、調子に乗ってゴールデンウィークに友人と外食も何度かして、夜遅く帰ってきたりするとそのつけがまわり、5月中は何度となく、食後に胃痛がした。胃痛といっても胃の中でなく、胃の周りの腹部の痛み。それが仕事中しばらく痛かった。食べるたびに、ものすごい音をぐるぐる立てる。少し無理をしすぎたと反省。その後、2ヶ月は外食の予定をいれず、毎日仕事から帰ると夕食をゆっくり食べ、早めに休んでいた。

梅雨に入り、湿気も高く日差しが強い日も多くなってくると、仕事で外を自転車で回ることがきつく感じるようになる。「今からこんな状態で、夏場暑い中、自転車で訪問に出られるのだろうか…」と自信がなくなる。しかし、職場ではあまり具合が悪いことを見せてはいけないと無意識に元気で振る舞ってしまい、4月下旬からは手術前とほぼ同じペースで仕事をしていた。そんな状態が続くと、ある時、突然、体がきついということ以上に精神的にこれ以上今日は仕事できない!と思うこともあり、一日休みをとったり、午前中で早退したこともあった。職場の人たちも、私があまりに外見が元気なので“この人は、半年前胃癌で胃をとった”ということは忘れていたので、私が突然早退したいと言うと、思い出したように、「大丈夫なの?」と声をかけてくれる同僚もいた。

体については、自己管理が原則。きついようだったら、自分で判断して休むしかないのである。しかし、復職して最初の数ヶ月はよいが、半年もたってくるともう“病後なので”という言い訳もきかないように思える。もともと私は仕事をてきぱきこなし、忙しく一日を終えて定時に帰ろうというタイプのため、仕事をしたくても今までのようにできないというストレスを自分で自分にかけてしまうのである。そうすると、仕事に対する意欲が落ちていってしまい、自分はここで仕事をしていても給料泥棒のような気がする。5月後半より、朝起きる時否定的な思いがわいてくることが多くなってきた。最初の数ヶ月は朝、無事に起きられるということだけで、感謝して職場に行っていたのに。どうしてこうなってしまうのか?有給休暇も使い果たし、欠勤するわけにいかないしとますますプレッシャーをかけ、朝、憂鬱でも体に鞭を打っておきて職場に行っていた。


○一人暮らしのメリットとデメリット


一人暮らしは気楽である。家族の世話をしなくてもよく、自分が好きな時に好きなことを自分のペースでできる空間を持てる。誰にも邪魔されない。家族がいると、「あ〜一人の時間がほしい」と思われるだろうし、そういう方からすると一人暮らしは非常に贅沢な環境である。

しかし、裏を返せば、一人暮らしというのは孤独である。家へ帰っても独り。誰とも話をせず、一人で夕食を用意し食べる。PCに向かってメールのチェックやその他ちょこっとした作業。そして、疲れが出るので早く寝る。体が健康な時はいいが、病中病後はこういう仙人のような生活はメンタル的にデメリットになる。友人や教会の友達と電話で話したりするのはせいぜい月に1−2回(みんな互いに忙しいから平日連絡をわざわざとらないものである)。アメリカの両親にはスカイプ(IP電話だから通話料ただ)で時々話していたが、それ以外は誰とも話さないのである。家族と一緒に暮らしているとけんかしたり、「うるさいなあ」と思うことがあっても、会話ができる。相手が同じ空間にいるという安心感がある。私の場合、今日一日のこと、職場のことを話す相手が家にいない。些細なことでも家族で話をできるというのは、実は非常にメンタル面でおおきな役割を果たしていると思う。もちろん、一人暮らしを好むライフスタイルの人もいる。また、家族関係が悪く、口も聞きたくないくらい嫌いで、それがストレスで病気になる人もいる。しかし、そういう人も、実際嫌いな相手と別れてひとりで暮らしてみても、その精神的な病気は治るかというと、そうでもない。“相手が嫌い”というマイナスの苦い思いは別れて暮らしてもついてくる。その相手を赦さない限り…。

たとえ家族と住んでいたとしても、病後はマイナス志向になることはあると思う。自身はさみしがり屋のほうなので、そんな私が病後一人暮らしで今まで、うつ病にもならずよくやって来れたなと、逆に神様の守りを感じた。でもうつ的になることは正直あった。突然泣きたくなる時もあった。仕事中、涙がでてきそうになり、急いでトイレへいって顔を洗い、自転車にのって訪問へ出かけたこともある。自転車をこぎながら「助けて下さい」と祈りながら。そうすると、訪問先につく頃には普通に仕事しているのである。


ちなみに、猫好きの私としては、猫と接するのは一時的な安らぎである。見ているだけでもほほ笑みが。上:フィラデルフィアで両親が買っている猫 エスター


○マイナス志向に陥ったときの対処法 VS 解決法?!


最初から言ってしまうのも何ですが、私は弱い人間なので、自分の力で完全にプラス思考にポジティブ思考にはもっていくのに限界がある。

胃癌等、癌になった人の体験談を読むと、みなそれぞれがんばって努力して前向きに日々がんばって回復している記事が多い。それを読んで励まされている人も多いと。また病気と闘いながら自分の趣味や自分が楽しいことをして前向きに生きていますという記事もあり。しかし、それらの人たちが完全に病気に対する恐れや不安からフリーになっているのだろうか。忙しいことや何かに没頭することで否定的な思いを紛らわすことはできる。紛らわして前向きにと自分に言い聞かせてくるのは非常な努力を要すると思われる。記事なかには、辛い苦労話で終わることもあり。その両面があるのが現実だと思うし、体裁ごとじゃないと思う。

先日、職場の研修で「メンタルヘルス研修」というのに参加したが、自分の性格の傾向性を知り、ストレスをためないよう、対処していくという内容だった。「ストレスをためないように、ストレスをためると様々な病気として現れます。自分に優しくなりましょう、無理をしないように。ひどい場合は癌になることもあります。」と講師のかたは優しく受容的に話されていた。(講師のかたも、癌になったばかりの人が聞いているとは想定していないだろう)突然胃癌になった私としては、残念ながら説得力がない内容であった。自身は意識したわけでないが、気がつくと今までいわゆるストレス対処法と言われていることはほぼしてきた。テニス、スポーツクラブ、旅行、健康な食事を取ることを心掛けた。たくさんの楽しいことも経験することができ、友人にも非常に恵まれていたし、職場も同僚との関係もよく恵まれていた。実際、“ストレスの対処法”ということほど、“対処療法的”な一時しのぎ的なものはないと私は思う。楽しいことをしたとしても、一時的であり、根本的な解決にならない。つまり、いわゆる“気晴らし”にしかならないのである。一時的に気晴らしするしか他に手がないことを、ストレス対処法というのは矛盾していると思う。
誤解のないように言うが、楽しいこと・趣味活動自体はすばらしいことだと思うし、よいコミュニケーションでもあり大いに楽しむべきだと思う。(私も楽しんでいる)しかし、それ事態をストレスの解消法や対処法としても、ストレスを起こしている問題の解決にはならないという意味である。また講義の中で、“愚痴をいうことがストレス解消法”と講師は話していたが、これも非常に表面的であると思う。先ほど、一人暮らしだと話す相手がいないのでメンタル的によくないと書いたが、今日会ったことを話すのに、愚痴をいうのと、建設的に話すのとどう違うのか。それこそ、愚痴というのはネガティブ、否定的な要素を含み、ある問題に関し、「(こういうことがおこったから)いやんなっちゃうよ〜、やってられないよ〜」、それに対し「仕方ないわよね」というだけでは、問題解決にならない。ある程度、建設的な方向性で、「(こういうことがおこったから)どうしたらよいか」を相手に話したり、相手から意見を得られなくても、自分で言葉にだすことで問題の整理にもなる、そして具体的方策を考えるというのなら建設的な会話で有益であると思う。

私たちクリスチャンは、問題が起こった時に、まずそれを言葉に出してみて、相手に話し、具体的に方策があればアドバイスをお互い言ったりした後に、「では、祈りましょう」と、最終的には神様に状況を導いて下さいと、どうなってもすべて神様に任せることに決める。一つのことに拘ったり、また自分の力ではどうしようもない環境や状況に置かれていたり、人間関係で相手への苦い感情を持ち続け、相手や状況が変わらないかと思っている状態だと非常に不自由でストレスフルある。しかし、“すべてあなたに任せます、助けて下さい”と必ず解決に導かれるからという希望をもって祈り続けると、ある意味自由になれる。とにかく、祈り続けること。私は信仰がすぐ弱まるので、落ち込むのであるが、それでも祈り続けることでうつ状態になることから助けられていると思う。あることはすぐに、あることは時間がかなりたってから、明後日の方向から解決が導かれたりして、助けられるのである。ということで、私の暗くなったときの解決法は祈りである。それも、一人で祈るだけでなく、信頼できる信仰をもつ方と一緒に問題を分かち合い、プライドを捨てて(プライドは自分の弱さを相手に話したくない)、祈りを共有すること。そして、これをぜひ、お勧めしたいと思う。

 


   
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