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                シリーズ: 聖書の中の女性達                     
     
Vol2 サラ:神に望みを置いた敬虔な婦人 
                                   
 

 

○サラの生い立ち

 サラは信仰の父:アブラハムの妻で、ウルという現代のイラクに位置する都市に住んでいました。彼女の父はテラというセツの家系で、アブラハムとは年が10歳離れた異母兄弟です(創2012。当時は未だ、近親婚は珍しいことではなかったそうですが、モーセを通して与えられた律法の時代からは禁止されています(レビ18:4-10)。アブラハムがサラの故にエジプトの王とゲラルの王を恐れ、サラを「私の妹です。」と偽ったように、彼女が外見的に王達の目に留まる程美しかったようですが、彼女は不妊でした。(創11:30

 

夫アブラハムへの従順

新約聖書で記されるサラの特徴は、夫への従順です1ペテロ3:6。彼女はアブラハムを主人と呼んで夫に従っています(創1812)。神様がアブラハムを「私が示す地へ行きなさい。」(創12:1と呼ばれ、都市生活から不安定な寄留生活への旅立ちであっても、神様に従った夫にサラはついていったこと、また夫が殺されないために、自身を王達に差し出したということからも、たとえ不本意であっても彼女は夫に従順でした。夫婦関係について、聖書は妻は夫に従うようにと一貫しています(エペソ522-24)。たとえ夫がみことばに従わなくても、妻の夫に従う姿勢という無言のふるまいによって、神様が夫を導いて下さる(1ペテロ3:1-2)という約束に、女性たちは励まされます。現代でも妻の信仰的従順な態度によって、その夫が信仰に導かれるという恵みを見ることがあります。

 

サラの葛藤と失敗

サラは不妊のゆえに、当時社会的辛い立場でありました。そのようなサラにとってアブラハムを通して与えられた神様の約束(創12:1-3)がどれ程嬉しかったことでしょう。しかしそれから10年経ち、アブラハムは85歳、サラは75歳となり、サラの心の葛藤とフラストレーションが神様の約束を待てず、自分の計画を夫に勧め、若い奴隷のハガルに子供を産ませるという顛末に追い込まれたのでしょう。サラは神様の時を待てず自分で動いたことにより、後に混乱や嫉妬や争いや悲しみを刈り取ることになります。今日のアラブ人はイシュマエルから起こった民族であり、パレスチナでのイスラエルとの紛争はここに起因すると言われています。

私達は人生のなかで、キリストの救いを頂き、恵みのうちに神様の祝福の約束を与えられていても、逆境もしくは試練を通ります。それによって私達の信仰が練られ、強められ、神様に益々依り頼むように導かれると、聖書の使徒達の手紙でも励ましが書かれてますが、その約束を信じて待ち望めることは幸いです。それは、結局天の故郷を目指し御国で新しい体が与えられ、イエス・キリストを長子とする神の家族につらなることを待ち望むために、この世においても神様が全てのことを益に変えてくださることなのです。(ロマ8:28-29

 

約束の成就の喜び:笑いが変わる

 3人のみ使い(そのうちの一人は受肉前のキリストと言われています)がアブラハムのところに訪れ「来年の春、・・・あなたの妻サラには男の子が生れているでしょう」と告げた時、サラは心の中で「わたしは衰え、主人もまた老人であるのに、わたしに楽しみなどありえようか。」と笑い、そしてその心を主に読まれ、恐れたとあります(創18:10-15)。「イサク」という名は笑うという意味で*1、この前後の文脈で使われている“笑う“という動詞は嘲笑と言う意味も含みます*2。しかし一年後「神はわたしを笑わせてくださった。」(創21:6)とサラの使った言葉は“(楽しい)笑い”*3で表記されています。彼女は、神様の恵みにより信仰を回復して頂き、もはや冷笑ではなく、明るい喜びの笑いが出来るようになったのでしょう。憐み深い神様は、彼女に約束通りにイサクを90歳という高齢で産むことを可能にしました。そしてその約束を確証するように、サライの名前はサラ(ヘブル語:王妃、国々の民の母:17:16)へと変えられました。サラは、神様の大きな恵みを受けた女性として聖書は記しています。

 

○刈り取りとの対決

 イサクの乳離れの日のお祝い(当時の乳離れは3-5歳)で、イシュマエルがイサクをからかったとことで、サラが夫アブラハムにこのこの親子を追い出すように迫ります。(21:9-10)17歳程にもなるイシュマエルが、幼児を相手にからかって*4いたことが、ヘブル語の語源から読み取れます。これはハガルの影響による、幼子イサクへの不遜心、敵対心の現われであり、サラはとっさに「今後も、この力関係でイサクが低く見られ、家督を継ぐ者としての成長に悪影響を及ぼす。」と母親として危機を感じたことでしょう。サラはそもそも自分がした失敗による刈り取りにも関らず、そのことで負い目を感じて悩まされたままでいないで、逆に、イサクが契約の子であるという神様の約束に立ち、酷ともいえる処置を夫に申し出たのだと思います。このことはアブラハムにとって、自分の子であり、人情的にも非常に辛いことでした。このような状況だからこそ神様がアブラハムに介入され「サラの言うことを聞きなさい。」と言われて、アブラハムは決断するのです。

 私達も時には忍耐を欠き、失敗し、その刈り取りに悩まされることがあるかもしれません。しかし、悔い改め・赦されたものとして、失敗の結果と向き合い、人からどう思われるかではなく、神様の御心に沿う決断が与えられるよう、神様に委ねて祈り求めていく必要があるでしょう。サラという女性の性格からは情のある優しいイメージを持てませんが、神様は“性格に難あり”という人物をも用い、その失敗を軌道修正されながら、ご自身の計画を成就されるお方です。弱さを持つ私たちのとって、彼女のケースは慰めと励ましともなり、聖書ではサラの信仰を取り上げ「約束をなさったかたは真実であると、信じていたからである。」(ヘブル11:11後半)と記されているように、私たちも、主を真実な方として信頼し続けていきたいと教えられます。

 

(ここでは「サラ」と「アブラハム」表記で統一します)

注釈

*1 yits-khawk' (ヘブル語) 笑い (Jitschak)イサク、アブラハムの息子の名

*2, *4 tsaw-khak' (ヘブル語) 語源: 大笑い、笑う、嘲る、遊ぶ、からかう

*3 tsekh-oke' (ヘブル語) 笑い (楽しい、からかいの) 

(引用:口語訳聖書より)  


*創:創世記、ロマ:ローマ人への手紙、へブル:へブル人への手紙、エペソ:エペソ人への手紙、1ペテロ:第一ペテロの手紙


「恩寵と真理」 20164月号 同信社 掲載

 

 
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