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                シリーズ: 聖書の中の女性達                     
     
Vol. 3 ラハブ:人生が大きく変えられた女性 
                                   
 

 

「信仰によって、遊女ラハブは、探りにきた者たちをおだやかに迎えたので、不従順な者どもと一緒に滅びることはなかった。」(ヘブル1131節) 


○ラハブの生い立ち

 

 「ラハブ」の名前はヘブル語で「幅を広くする、ゆとりがある」の意味があるので、ふっくらとした魅力的な女性だったのでしょうか。彼女はカナン人で、エリコという街の城壁に住んでいました。当時のカナン人は偶像を崇拝して道徳的にも非常に堕落していた為、神様の怒りが積まれ、ヨシュア率いるイスラエル軍によって滅ぼされることになります。彼女はそのような堕落した社会で必要とされる職業の一つ、遊女でした。男女の性的関係は、結婚という制度の中でのみ神様に祝福されることは聖書の原則であり(マタイ19:4-6)、それ以外の不品行は裁かれます(ヘブル134)。従って遊女という職業自体が神様の前に罪であり、彼女もイスラエルの民に滅ぼされるところでした。

 

信仰の人たちの一人に挙げられたラハブ

 

 ヘブル人への手紙11章で掲げられる信仰の人たちの中で、女性の名はアブラハムの妻サラとラハブだけです。その理由は、イスラエルの斥候をさし出すように王の使者より命じられた時、彼女が敵である二人の斥候をかくまったからです。ラハブは斥候たちを屋上に隠し、彼女の偽りの証言によって、彼らは逃れることが出来ました。自分の命の危険を冒してまで王の命令に逆らい、二人のイスラエル人を助けたということは、彼女に真の神への信仰が与えられたからに違いありません。

 彼女がどうしてイスラエルの神が、真の神だと信じるようになっていたのかは聖書に具体的に記されていません。彼女は「主があなたがたの前で紅海の水を干されたこと、およびあなたがたが、ヨルダンの向こう側にいたアモリびとのふたりの王シホンとオグにされたこと、すなわちふたりを、全滅されたこと」(ヨシュア210)を聞いて知っていただけです。そのような少ない情報と限られた時間で、彼女は聞いて、信じたのです。

 斥候たちにとっても、ラハブのところに泊まったことは益となりました。なぜならラハブから、エリコの人々がイスラエルの民を恐れていたことを聞くことが出来たからです(ヨシュア29-11)。イスラエル軍が戦う前に、神はすでに敵の心を揺さぶっておられたという情報は、戦いを前にしたヨシュアと神の民イスラエルにとって大きな励ましを与えたはずです。(ヨシュア224)

            

○赤い紐が示すもの

 

 異邦人のラハブが「あなたがたの神、主は上の天にも、下の地にも、神でいらせられるからです。」(ヨシュア211)とはっきり、創造主なる神とそのご支配について信仰告白をしたことは驚きです。また彼女はエリコを滅ぼすという神様の裁きを信じただけではなく、自分のような遊女という罪人であっても、信じれば救って下さる憐れみ深い神様であることを信じたからこそ、彼女は勇気ある行動をとることができたのでしょう。

 そして斥候たちとかわした約束により、エリコ攻略の際、ラハブとその家族を救い出す印として、赤い紐を彼女の家の窓に結び付けました。この赤い紐は、出エジプトの時にイスラエル人が家の門柱の鴨居に塗った過越の小羊の血と、イエス様の十字架の血潮を象徴すると解釈されています。キリストが流された血潮を自分の為だと受け入れ信じる人には、神様は私たちの罪を赦し、その怒りを下すことはなさいません。神様は、私たちがどのような者であるかを問われず、ただ信仰によって救われ、赦されるという型がラハブのストーリーにも示されています。

 現代に生きる私達も、人種や過去の生き方に関わらず、信仰によって全ての罪がイエス様の十字架によって赦され、そしてその復活の力で新しい命を与えられて霊的に新生し、聖霊によりキリストのご性質に変えられていくという大きな恵みを改めて感謝致します。

 

○イエス・キリストの系図に載せられたラハブ

 

 イエス様の弟子のマタイ(神の賜物という意味)はその福音書の冒頭に、イエス・キリストの系図を記しましたが、その中に4人の女性の名前を入れています。通常、ユダヤの系図は男性側のみ記されるもので、しかも、これらの4人の女性のうちイエス様の母マリア以外の3人はみな”いわくつき”で、本来系図に載せられるような女性たちではないのです。ある聖書学者やイエス様の時代の前のユダヤ人たちは、ラハブは遊女ではなく、宿屋の女将だったのであろうと主張するそうです。遊女のヘブル語の言葉が、“養う、食物を与える”という言葉に似ているからというのが根拠です。その動機は、ユダヤの王の家系にそのような人が含まれることは許容したがいことだからです。*1しかし、ヘブル語でこの言葉自体は“娼婦“と言う意味のみであり、新約聖書も、ギリシャ語で書かれた70人訳の旧約聖書でもラハブを示す箇所で、ポルネイ(娼婦”と言う意味)が使われ、これは英語のポルノグラフィと同じの語源であり*2、どんなに美化しようとしても無理があります。彼女はその言葉の示す通りの娼婦であったことをそのまま受け入れることが、現代社会の私たちにとって大切なことだと思います。なぜなら、様々な烙印を押され、蔑まれているような人々も、神様の驚くべき恵みでイエス様の贖いにより救われれ、神様を賛えることに繋がるからです。

 ラハブは偶像崇拝の民カナン人でしたが、イスラエルの神こそ真の神と信じて彼女と彼女の家族は死から救われました。エリコの街が滅ぼされた後、彼女はイスラエル人のサルモンと結婚し、サルモンとラハブの間に生まれた子どもがボアズで、ボアズとモアブ人(申命記23:3参照)であるルツとの間にオベデが生まれ、オペデからエッサイが生まれ、エッサイからダビデが生まれ、その系図はイエス・キリストへと繋がっています(マタイ1:5-6)。これは、マタイの名前のとおり神の賜物、つまり神様の恵みの豊かさを示しているように思われます。

 ラハブの信仰は、真の神であるイスラエルの神様に自分の命を懸けたものです。彼女は、神様の恵みによって救われ、更にイエス・キリストの家系となり、新約聖書では2回も信仰の人として記され(へブル13:31、ヤコブ2:25)、大きく人生が変えられた女性です。現代に生きる私達も、その人生において、時には彼女のような勇気を持った行動を伴う信仰が与えられ、神様の栄光を表すことが出来るよう願いたいと思います。(口語訳)

 

 

*1, 2   "Twelve extraordinary women", p67, John MacArthur著, 2005, Thomas Nelson

 

「恩寵と真理」 20166月号 同信社 掲載

 

 
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