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                シリーズ: 聖書の中の女性達                     
     
Vol. 4 ルツ:落穂拾いでのロマンス
                                   
 

 

「そのとき、女たちはナオミに言った、「主はほむべきかな、主はあなたを見捨てずに、きょう、あなたにひとりの近親をお授けになりました。どうぞ、その子の名がイスラエルのうちに高く揚げられますように。」(ルツ記414節)

 

○ルツ記の書かれた時代背景

 

ルツ記の書かれた時代は、士師時代の終わり頃、紀元前12世紀頃だと言われています。イスラエルでは「おのおの自分の目に正しいと見るところをおこなっていた。」(士師2125)という暗黒の時代であります。しかし、このような状況の中でもルツの姑、ナオミのような神様に誠実な女性が存在し、神様は彼女を通して異邦人のルツにも良い影響を与え、ご自分の救いの計画に用いられるという、神様の摂理と、キリストによる購いの型がこの書簡から読み取れます。 

 ルツはモアブ人で、彼女は、飢饉を避けてモアブの土地に在住していたユダ族のエリメレクとナオミの息子の一人:マフロンに嫁ぎました。しかし、彼らの寄留の間にあい継いで、エリメレクとその二人の息子が亡くなるという不幸が訪れ、年金も仕事もないこの時代で未亡人3人では生活できない状況となりました。ナオミは、夫を亡くした嫁たちにモアブの地での再婚を勧め、自身は独りでベツレヘムの地へ帰ろうとしますが、嫁二人共が姑との別れを惜しみ、彼女について行こうとします。この麗しいやりとりから、彼女たちの関係は非常に良かったと推測できます。またルツは、結婚生活中にエリメレク一家の信じる神様を信じるに至ったからこそ、「あなたの神は、私の神です。」(ルツ1:17)という信仰告白が出来たのでしょう。そのような信仰が与えられたルツにとって、自国の偶像崇拝の生活に戻ることは、困難だったかもしれません。それにしても、何の保障もないにもかかわらず、ルツは自国での再婚の機会を犠牲にして、姑ナオミとともに異国の地での生活を選びました。

 

○神の摂理:ボアズとの出会い

 

 当時のイスラエルで、人の畑で落ち穂拾いをするのは孤児、未亡人、貧しい者、在留異国人といった社会的弱者のために、神様が定めた福祉制度でありました(レビ記2322,申命記24:19)。姑と自身を養う為に、早速落ち葉拾いに自ら行こうとした様子から、ルツの勤勉さ、誠実さが伺われます。またその行った畑が、ナオミの亡き夫エリメレクの一族であるボアズのものだったことは、彼女達にとって思いもよらないことで、ナオミは「その人はわたしたちの縁者で、最も近い親戚のひとりです」(ルツ2:20)という驚きをルツに説明しました。「図らずも」(ルツ2:3)と表現される箇所は、まさに神様の見えざる手(摂理)によってこのことが導かれていることを示しています。そして、勤勉に働くルツの様子がボアズの目に留まり、彼が好意で彼女が落穂を十分刈り取れるように配慮したことも、後に続く大胆な突撃プロポーズにうまく繋がるよう、神様がボアズを導かれていたと思います。

 

○ボアズとの結婚 ゴーエール(買い戻す者:ヘブル語)

 

 当時の制度に、先祖から譲り受けた土地を買い戻し、絶えんとなる家系を残すため、家族や近親者が、その土地や身柄を一族のものが買い戻すという制度:ゴーエール(「買い戻す者、あがなう者、一番近い親類」という意味)がありました。ナオミは、このゴーエールの権利を持つボアズとの出会いは神様の導きに違いないと確信したからこそ、ボアズへの求婚をルツに提案したのでしょう。密かにベッドに入って相手を待つという求婚方法は、現代においても大胆な方法でありますが、衣のすそを女性にかけることには結婚の意味もあったそうです(エゼキエル16:8)。また、ためらわずに姑の指示に従ったルツの勇気とその従順さにも感銘を受けますし、ルツ記はあたかも恋愛小説のごとくのときめき感を与えるストーリーでもあります。そして、ボアズも誠実で堅実であったからこそ、事を順序だてて受け止め、まず自分よりもっと法的に近いゴーエールに伺いを立ててからと判断しました。ボアズも、彼の近親も、ルツがモアブ人であるので断る正当な理由はありました。律法にはモアブ人はその10代目の子孫さえ、主の集会に入ることはできないとされていたからです(申命記23:4)。

 また、当時のレビラト婚といって、死んだ夫の代わりにその夫の兄弟がその女性と結婚する習慣・律法がありました。(25:5-10)これに基ずくと、ボアズとルツの間の子はエリメレクの息子マフロンの跡取りとしてその家を再興することになり、ボアズ家の嗣業とならないはずです。ボアズの家族については、聖書では何も書かれていませんが、ボアズは既婚者か、もしくは妻に先立たれていたが跡取り息子がいた可能性があります。ですから、ルツとの間の子供が自分の跡取りでなくても構わない事情があったのかもしれません。

 ルツ記は、裕福で権力のあるボアズが、貧しいルツとその相続地に対する一切の権利を満たして彼女と結婚したことは、永遠のゴーエールであるイエス・キリストが、十字架の死によって罪という払いきれない私達の負の財産を買い戻して、ご自身の命を代価として購ってくださったことを予め示す型であるとされています。それゆえ、私たちは完全に自由の身となって、キリストの花嫁とされているのはなんと幸いな恵みでしょうか。

 

○イエス・キリストの系図に載せられたルツ

 

 近所の婦人たちはこの二人に生まれた子をオベド(「仕える者」と言う意味)となずけました。これはルツが故国を捨てて姑ナオミに仕え、イスラエルでも勤勉に働いていたからかもしれません。そして実際、この子の血筋はまさに「仕える者」となります。オベドの孫として「ヤハウェのしもべ」のダビデが生まれ*、さらにそのダビデの子孫としてキリストであるイエス様が登場します。イエス様は神の子であられるのに、低くなって人々に「仕える者」となり、弟子達にその手本を示されました。
 現代に生きる私達は、この大きな社会、世界の中では小さい存在でありますが、神様は私達がたとえ平凡な日常生活の中でも、ルツのように神様への誠実、従順、勤勉さをもって日々喜んで過ごしていると、一人ひとりに目に留めて下さり、神様の壮大な計画の一部分に用いて下さるとルツ記を通して励まされます。

 

 

 

*1 詩篇3618編には、この詩は「主のしもべの詩。ダビデの詩。」であると書かれています。「しもべダビデ」という表現は詩篇だけでなく、旧約聖書の中にたくさんあります。訳されているヘブライ語は「レ・エベド ヤハウェ」で、このエベドは、オベドと同じ語源

 

「恩寵と真理」 20168月号 同信社 掲載

 

 
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