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「胃がんなんて切ってしまえばみんな回復して元気になっているよ」大いなる励ましのことば 背後にある元気になれなかった人々の声 Nov. 2008, Vol 2


○「医者は最悪の危険性のことばかり説明するものだ」と思っていた?!

1115日午後、妹と叔母と手術前の説明を医師から受けた。「今日の内視鏡の結果、患部の位置が予想より上部にあり、開けてみないとわかりませんが、胃全摘と胆のうも摘出する場合もあります。」「手術後、再発・転移の可能性は10%、その場合抗がん剤・放射線治療等を行っていきます。」とのこと。全摘?胆のうも取るの?「全摘しても、しばらくしたら食べられますよ。量は少ないですが、最初は慣れるまで痛い思いをしますがね。」その後、手術方法の説明、ルーワイ法といって、小腸をびよーんとひっぱってきて、残った胃の上部に接続、十二指腸はなぜか繋げず遊ばせておく?と説明されたが、ショックでよく覚えていない。「姉は甘味が好きなんです。甘味さえ食べられるようになれば大丈夫でしょう」と私を慰めようと妹。合併症の説明は:縫合不全(約510%) 出血(〜1%) 感染(約5%) 肺炎・肺血栓梗栓(1%)心筋梗塞・脳血管性障害等

とゼロではないとのこと。輸血(特定生物由来製品)の同意書、麻酔の同意書、手術の説明の同意書と次から次へと。手術を受けた利用者さんから「書類にたくさんサインさせられてね、医者は最悪のことばかり説明し、おどされちゃうのよ」と聞いたことが何度もあった。しかし、事実、この110%の人々は実際合併症や転移・再発が起こっているのだ。医者は脅しているではなく、あくまでも事実を述べているのである。つまり、「胃癌なんて切ってしまえばみんな回復して元気になっている」の“みんな”というのは10人中9人、残りの1人は含まれていない。そういう人たちは元気に社会復帰していないから、世の中に出てこない。だから手術後予後が悪く、後遺症や再発と闘っている人々の声は、一般の人々には届かないのである。事実、病棟で知り合った患者さんのほとんどが、再発、後遺症等で再入院した人たちばかりだった。もちろん、手術を受けるまで、自分もその“みんな”でありたいと希望を持たなければがんばれないし、否定的な思いは病気をよけい重くするだろう。だから、この大いなる励ましのことばは必要である。しかし、私は手術前に仕事で訪問した癌の利用者さんのことばを思い出した。あの方は、“みんな”に入れなかったんだと。そういう弱い方々の気持ちを初めて少し理解する。以前からこの仕事をしていて思ってきたことだが、元気になれない人々、死と向き合わなければならない人々にも“希望”があることを伝えたいと強く思った。それは信仰に関することなので、相手が求めてないのに話すわけにいかないし、現在の職種では職務外のことなので出来ないというジレンマが私にはある。(その希望とは? →癌!? 初めて死を覚悟した時、死の恐怖から心が守られた理由)手術前日に、教会の数人の人がお見舞いに来てくれたことも非常に励まされた。


○手術を終えて  時間がワープ 目覚めたら5時間半後

1117日、叔母・大学時代の友人・教会の友人3人が朝早くから手術時間も5時間半と長かったのに関わらず立ち会ってくれたのがとても励みになった。42歳独身、両親はアメリカ在住、一人身はこういう病気や手術の時困る。日ごろ患者さん・利用者さんで独身・身寄りがない方が病気や認知症になった場合、お年寄りになってくると本人の両親や兄弟もより高齢であるから、面倒を見てくれる身内がいないというのを「お気の毒に」と思っていた。実は自分もそのカテゴリーにいたのだ。ほとんどの私の年代には、夫や子供がいて、家族の誰かが病気になったら家族で乗り越えるみたいな。「こんな私のために。。。」身内でないのに来てくれた友人には非常に頭が下がる、有難かった。もちろん、自分には身内はいる。叔母は私の両親が立ち会えないからと立ち会ってくれたし、たった一人の妹は自分の子供の世話があり忙しい中、手術中に行ったり来たりしてくれ、面倒を見てくれた。またこの教会の友人は看護師で、やはりご自身に過去大手術の経験がある方だったから、自分のことのように心配・励ましてくれた。この大学の友人は、私がまさかの宣告を受ける寸前までいっしょに食事をしていて心配し、最初から共に悲しみ、励まし支えてくれた。ストレッチャーで手術室まで運ばれる時、笑顔で「いってきま〜す」と。多少緊張していたけど恐れはなかった。手術室はモスグリーンの壁で癒し系のBGMがかかっていた。点滴がなかなか入らなくて麻酔科の先生が苦労していたが、入ったとたんに時間がワープした。次に目覚めた時は5時間半後。外に運ばれ、ICU(集中治療室)へ。「全摘しなくてすんだからね。」と言われ、ああよかった少しは胃を残せたんだ。。とおぼろげに安心。よく覚えていないが廊下でみんなの顔を見て、「ありがとう、ありがとう」と言っていたという。とにかく、腹の痛みというより、長時間手術台の上の硬直していたためか、両肩に痛みがあった。体は管だらけ。翌日、普通病棟に移されるまでほとんど寝ていてよく覚えていない。身動きもとれない。とにかく無事に終わったんだ、生きているという安堵感。神様に感謝した。

手術に立ち会ってくれたKさんと病室にて
                               手術に立ち会ってくれた大学時代の友人Jちゃんと自宅療養中にて


腹切りの痛みと不自由さ

胃切除の直後は、お腹も好かないし、喉も渇かなかった。点滴だけで5日過ごしたが飲水は3日目から許可される。痛みはあるが、背中から硬膜下麻酔をいれっぱなしであったので、この麻酔があるぶん痛みは緩和されているのである。たとえば妊娠、帝王切開する妊婦さんは子供が中にいるからこの麻酔ができない。その苦痛はひどいと聞く。それに比べて手術の時からこの麻酔が入っていただけましなはずであるが、それでも痛くて、点滴で痛み止めをいれてもらった。数日間は特にベッドから起き上がる時が非常な痛みが伴い、思わず声をあげてしまう程。同室の患者さんにどう思われようが、どうでもよかった。癒着しないように、「とにかく歩いて下さい」と言われ、ICUを出て最初レントゲン室へ車いすで運ばれたが、帰りは一般病室まで歩いた。点滴台を支えにし、腰を折ってまるで老婆がゆっくり歩くようにしか歩けない。トイレに行く時だけでも歩かねば。。。と必死だった。点滴のためか尿は3時間ごとにでるため、そのたびにトイレへ。だからよく寝れない。夜間はトイレへ行くのが辛いので、尿器を看護婦さんに依頼。しょっぱなに尿器の使い方がうまくいかず、ベッドの上で失敗!尿まみれのシーツで寝なければならないのか!!もう情けなく恥ずかしく。。。でもこんなことで夜勤の看護師さんを呼べない。自分が病院や介護施設の医療福祉相談員(MSW)として働いていたこともあり、病棟の看護師さんの忙しさ大変さが分かっているからこそあまりナースコールで呼べなかった。(幸い翌朝シーツ交換の日だった!)腹筋というのはさまざまな動作に使うもので、身動きだけでなく声もよく出せない。点滴も右手の甲にされているから手もよく動かせない。髪もぐちゃぐちゃ。手術後3日目に、妹がドライシャンプーをして、髪をゆってくれた。身内はありがたい。妹も子供の世話があり忙しい中、車で通ってくれた。しかし、この痛みはいつまで続くのか〜と思った。


消化管再建、縫った胃腸が繋がった!

術後4日目目1120日の早朝、痛みを覚悟してベッドから起き上がろうとすると「あれ?そんなに痛くない!」すごい、痛みが和らいできた。やった〜!

毎朝、先生が回診にきて傷を見てくれるが、「明日、胃レントゲンとって、切ったところが繋がっているか確認できれば、夜から流動食ね」と言われた。午後にも何人かお見舞いに来ていただいたが、ようやく普通に話せた。みな、私が普通に話して見た目元気そうだからびっくりしていた。(「昨日までは大変だったんですよ。。。」)たくさん人と久しぶりに話したから疲れたのかその晩ほとんど眠れず。2時間おきにトイレ。 右手が点滴で物凄くはれ痛い。術後5日目1121日、 10時先生の回診。そういえば、一度も消毒されたことないので、聞いてみるとこの縫合は消毒・抜糸の必要なく、のりみたいなのが傷口にはってあり、日焼けの皮がむけてくるように、自然とむけて後が残りにくい方法らしい。また咳がでて、喉に違和感あったのでそれを聞くと、「術中に喉に管を通していたせいですので時期になおります」。咳をするとものすごい激痛走る。昨日よく眠れなかったせいか午前中うとうとしていると検査に呼ばれ、X線と胃透視カメラ。先生がカメラで縫合された胃腸がきちんと作動しているか確認。先生も一緒に喜んでくれた。思えば一ヶ月前に先生が内視鏡で発見して、入院、手術と迅速にして下さって、先生にお礼をいったのが昨晩。凄い!やった〜イェーイ 神様ありがとうございます! 悪いところをとって新生した胃腸達はこれから今迄と少し異なる連携作業。負担かけないよう私自身がこの小さな胃にあった食べ方をしなくては。検査終わって部屋に帰る途中、屋上があるのをみつけた。空は一年で11月が一番青いとのこと。今まで海外で見た空は確かに吸い込まれるような青色で、美しかった。しかしこの新しい思い、嬉しい喜びの思いで見た11月の空が今までで一番感動した。ただの雑居ビルしか見えないのに最高だった。賛美歌が自然に出てきて、誰もいないので歌った "我が魂、主をほめたたえよ、主が私にして下さったこと、何一つ忘れるな"(詩篇103章2節)

病院屋上でみた11月の空



   
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