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信条・Statement of Faith
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May 2013

聖書のことばを通して
生活のなかで示されたことや
インスピレーションが
与えられたことを一言





証人 メガ・チャーチの牧師の息子の自殺 ヒヤシンスの根 誘惑
読むと幸せになる書物:アポカリプシス 駅の不審物
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Apr. 26, 2013 駅の不審物

「そこでイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて 言われた、「こう、しるしてある。キリストは苦しみを受けて、三日目に死人の中からよみがえる。そして、その名によって罪のゆるしを得させる悔改めが、エルサレムからはじまって、もろもろの国民に宣べ伝えられる。あなたがたは、これらの事の証人である。」ルカによる福音書24章45-48節

 昨晩帰宅途中に、地下鉄のホームで待っていると、待機している警官に、ある客が「あそこにバックが置き去りになってます」と告げる人がいて、彼らはそのバックをチェックしにいきました。先週のボストン・マラソンでのテロ行為以来、NYでも警官が厳戒態勢で動員されている中で、一瞬まさかと緊張が走り、そのベンチから私は遠ざかりました。警官がそのバックを調べているのを遠目に見ていまいたが、それはただの忘れ物でした。
 人がテロ行為に走る心理は何でしょうか?社会に対する不満・怒りがある特定の宗教・思想と結びつき、それ以外のものへの敵意が無差別破壊という行為に駆り立てる。一方、戦争はたとえ大義名分があったとしても、兵器を使って人を殺すことです。民間人・兵士も人です。その理由がどんなに合理化されようと、ようは人は目的のために人を殺すよう洗脳され、訓練されてしまうという恐ろしさがあるのです。
 人々の宗教に対する意識も変わってきました。日本でも、オウム真理教のテロ行為以降、反社会的テロ行為を行うカルトと他宗教もひとくくりにされ、”宗教は危ない”というイメージが人々に植え付けられてしまったことを、日本に住んでいた時から感じます。つまり、その信仰の内容や、教えを知る以前に、すべてひっくるめて、特定の信仰を持って熱心に活動をしている人は危ない、自分は決して洗脳されないぞ、”宗教はご免だ”という風潮が強くなってきたのです。良いものさえも最初から情報をシャットダウンしてしまう場合があるのは悲しいことです。
 私はキリストを信じて、だんだんそのキリストのしてくれた大きな愛を知れば知るほど、何もできないけどその愛に個人的に応答したいと熱心になり、自分がやりたいことよりも、神様がなさりたいことは何だろうと、その視点で様々な決断をしていくよう、徐々にかわっていきます。しかし、その熱心さは決して他者の命を破壊しないし、強制を伴いません。信仰は自分と神様との関係(Relation)がベースであって、宗教(Religion)活動をする気はないです。一方で、自己閉鎖的な宗教ではなく、自分が受けた恵みを他者にもわかちあう、証しするという面もあります。神の愛の良き知らせ:福音を伝えなさというイエス様が言われたので、2千年の間に、キリストが十字架で苦しまれて死んだこと、でも復活されて天に帰り、弟子たちを通して罪の赦しが与えられる悔い改めの福音が、エルサレムから始まって今や全世界に広がっています。その情報を知らない人に発信をしていきますが、興味がない人に無理に押し付けることはできません。もちろん、情報を伝えた相手のために陰で祈ります。その方がキリストの愛を知るようにと。そしてキリストに関する情報を、それがホントなんですよ、と証しする、証人となりたいと願います。弱さを自覚し、日々神様の助けを求める者です。遠い場所や、自分の小さな存在では手の届かないことに関しては、祈ることしかできない小さな者です。
 テロだけでなく、今もアフリカの国々で内戦で多くの方が命を失っています。子供も大人も。この地上だけではなく、天においても神様の慰めと励まし、希望が命を失った方々、負傷して苦しんでいる方々、その遺族に伝わりますように祈りつつ。
Apr. 25, 2013 読むと幸せになる書物:アポカリプシス

「この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて、その中に書かれていることを守る*者たちとは、さいわいである。時が近づいているからである。 」 黙示録1章3節   *他訳では”心に留める”

 アメリカで売れ筋の本のなかで、自己実現、自己啓発系”あなたの『人生へのモチベーション』は必ず向上できる”、”人生の成功する鍵”等があります。この手の本を読んでそうか、なるほど〜と試して、どれだけの人が成功し、幸せになれたでしょうか?世の中、勝ち組がいるということは、負け組もいるわけで、全員が成功し勝つということはありえません。弱者や世の中的視点で”負けてしまう人”のことを考慮しない、自分でとにかく頑張れ頑張れと。努力することは大切ですが、上には上がいる、そして人生のレースで転んだら、くいしばって自分の力で起き上がるしかないのでしょうか。しかし様々な事情で頑張れない人はどうしたらいいのでしょうか?
 以前、私が新しい仕事で苦労していることを聞いて、家主が「アメリカでは、全ての面でサクセスしようと努力しなければ生き残れないのよ。私も中国から出て来て、大学院に行き、努力して仕事してそうしてきた。あなたもうしそうしなければならない。今の仕事でサクセスするため、家でも最優先に時間をもっとかけ、他の活動を差し控えるべきである。」私は仕事に関して、私なりに努力し、誠実にやっているつもりですが、成果がでてくるのが遅かったのは確かでした。最近ようやくDr.達からも少し評価されるようにやっとなってきたところです(まだまだですが。。)。これは私の能力を超えたところ、神様の恵みと助けによるとしか言えません。私は家主にきっぱりいいました「私は仕事はきちんと責任をもって働きたいが、仕事でのサクセスが私の人生の最優先ではない。あなたは私の人生の優先順位を変えることはできない。私のプライオリティは神のために生きることだ」というと、「神のために生きるとは、何も教会の活動をすることだけでない、仕事でのサクセスでもある。あなたのように努力しない人間は、神に助けてもらえばいい」と食事の席でかなり辛辣に言われたことがありました。家主はいい人ですし、私のためを思ってアドバイスをしてくれますが、根本的に私の信条の土台と異なるようで平行線のため議論は避けました。
 今日読んだ個所は、この書を読んで心に留める、(心に留めるということはつまりその人の思い、感情、意志、行動に影響を及ぼすはずです)と祝福される、幸せになるという個所でした。黙示録というと、一般的にミステリアスな怖い預言が書いてあるイメージで、ハリウッド英語のネタにもよく使われます。実は聖書の最後の部分にかかれた総まとめみたいな、イエス・キリストについて隠されたいたこ内容がここで明らかになる、Revelation(英語)アポカリプシス(ギリシャ語)といって、開示という意味です。つまりキリストのことをもっと知れる、それは将来の預言も含みますが、神様の計画が様々な象徴等が用いられ書かれているので、難解な、教会でも説教があまりされないような個所でもあります。
 私は能力はなくても、最低限努力するタイプです。向き不向きもあり努力しても報われないこともあり、私は世の中的には負け組かもしれません。それでも心に神の平安を持った人生を歩みたいです。自分でもするべきことはなし、しかし生きる目的がキリストのために生きるという大前提は曲げず、神により頼んでいきたいと思います。読んで心に留めることで幸せになる聖書を、わからないところがありながらも読み続け、またそれを生活に適用していきたいと思わされました。そのために、神の霊感で人を通して書かれた聖書を理解するには、神の霊;聖霊の助けが必要ですので、それをもっと求めたいと思います。
Apr. 20, 2013 誘惑

「さて、ある日の夕暮、ダビデは床から起き出て、王の家の屋上を歩いていたが、屋上から、ひとりの女がからだを洗っているのを見た。その女は非常に美しかった。…そこでダビデは使者をつかわして、その女を連れてきた。女は彼の所にきて、彼はその女と寝た。」第2サムエル記11章2-4節

 男女の関係というのは古今東西、複雑です。そもそも何が複雑にしてしまうかというと、根本的には欲だと私は観察します。問題のない家族というのはないですが、最低限、夫婦一組で家族の基礎を保つことができ、問題に取り組もうと協力できれば、それ以上に問題を発展させないのはないでしょうか。配偶者が死んだ場合等の再婚は別として、現在の配偶者では満足できず二人以上の妻・お妾もったり、不倫をする。”何が悪い、好きなんだからいいじゃないか”と、開き直りがまかりとおる世の中。一方、神様の基準は不倫は死刑に値するほど大きな罪、なぜなら当人達だけでなく家族もその他の人たちもすべて関係が壊れ、傷つき、それが次の世代への負の継承として影響するものです。神が男と女を創造し、その夫婦間にのみ想定された性的関係は、結婚のなかでは祝福されますが、それ以外は呪いと破壊を生み出すことは、人の歴史を見れば明らかです。
 今日読んだ個所は、古代イスラエルの神から愛された偉大な王、ダビデが晩年に、不倫をしその相手の夫を殺して、彼女を妻としたというひどい話が書かれている所です。聖書というのは偉大な人、立派な神に従った人であってもその人の失敗をも隠さず載せるところがかえって信ぴょう性があると思うのです。完璧な人はいないし、また完璧になれない人でも神はなぜか用いられる、どんな罪でも悔い改めれば赦されるという、神様の憐れみがしめされるところです。ダビデ王はこの後、悔い改め、神様は赦されますが、赦されることと、その蒔いた種の刈り取りがあることは別であるということもこの個所から学ばされます。それは、現代でも殺人を犯せば、遺族は赦してくれなくても、本人が神の前に悔い改めればその罪を神が赦し、天国へもいけまが、一方、その刑を受けること(刑務所服役、罰金、受刑)が必要であるのと似ています。
 神様はダビデの子孫より、人として生まれた神の子イエス・キリストが生まれるよう、昔から計画を立てられていましたが、その系図の中を見ると(マタイの福音書の最初に系図が記載)アブラハムからさかのぼっても結構、道徳的に問題がある関係によって生まれた子の名も入っており、それをわざわざ弟子のマタイは調べて書き記しています。神様は人が失敗をしようが、人の目から見て系図が汚れようが、ご自分の決めたとおりに成就されるかたです。人の罪・悪より神様の憐れみ、赦しは大きく、選ばれた人が失敗をしても、神の計画が成就されるよう軌道修正をされるお方です。
 「何が原因であなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょうか。あなたがたの体の中で戦う欲望がが原因ではありませんか。」*1と聖書にかかれているよう、最初の人間アダムの息子で、弟を殺したカインに神はこう言われました。「もし正しい事をしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」*2 誘惑とは、自分の欲が最初はちょこっとあるところに、罪があなたを慕い求めてくるわけです。日常生活の中で私たちは神様に祈りつつ、罪に応答しないこと、これくらい平気と思わず、誘惑されるような場所にわざわざ行かない、わざわざ観ない等、治めることが必要だと思わされました。    *1 ヤコブの手紙4章1節、*2 創世記4章7節
Apr. 13, 2013 ヒヤシンスの根

「わたしは植え、アポロは水をそそいだ。しかし成長させて下さるのは、神である。だから、植える者も水をそそぐ者も、ともに取るに足りない。大事なのは、成長させて下さる神のみである。」第一コリント人への手紙3章6-7節

 NYでも三寒四温の日々ですが、通勤途上の道端に、ヒヤシンスやスイレンなど、ピンク・紫・黄色の可憐な花が咲いているのに気が付きます。小さい頃、ヒヤシンスを栽培したことがありました。これは、水栽培といってガラスの器に水をいれて栽培できます。他の草木のように土の中に種を植えて、育つのではなく、水のなかで育てるので、根が伸びていく様子がガラス越しに見え、子供ながらに興味深かったのを思い出しました。
 植物の成長というのは時間がかかる物が多く、種を蒔いてから芽がでて、木となり実を結ぶには非常に育てる側の労苦を要します。もし、種を植えてから、なかなか成長しないといって根をひっぱりあげて、また土に戻してと、繰り返し見ていると地に根づかないし、かえって成長を妨げます。ヒヤシンスのように水栽培ですと根が伸びていくのが良く見えますが、一番大事な根っこの成長は地面の下ですから見えないものです。しかし確実に根をはり、育っていくものです。
 聖書では、人の内面の成長を植物の成長に例えられています。子供の成長も親御さんにとっては非常に忍耐を要しますが、時が経つにつれ確実に変化が見受けられます。しかし信仰面での”大人の成長”はもっと時間がかかります。年齢が行けばいくほど、すでに長年築き上げてきた生活習慣、態度、考えが強く、信仰が与えられて救われた経験をしても、一晩では全てが変わらないし、この肉体を持っている限り、すぐには変わらないものです。(極端な例は劇的に変わる人もいます)しかし、ああ、変わらない、変わらないといつも、根っこを引っ張り上げるように心の中を探り、落胆していると、変わらない自分にばかり目がいき、肝心のキリストの力にフォーカスがいかなくなります。しかし、目に見えないし、感じないかもしれませんが、キリストを信じると聖霊が内側に住み、新しくかわっているのだと使徒パウロも説明しています。ですから徐々に聖霊によってキリストのような性質に変えられるという約束を信じ、祈り求めて、聖書のことばを学び、キリストの教えに従っていこうと決めれば、必ず神様は変えられる様助けて下さいます。
 人は相手に忍耐するよりも、実は自分自身に忍耐することのほうが困難を覚えるかもしれません。私も本当に自分がなかなか変わらないことにいらだちを覚えた時期がありました。そんなときヒヤシンスを思い出します。私の目には気が付かないかもしれませんが、神様は水面下のことをわかっている、そして本人もいつのまにか変えられていることに気が付く。時間がかかってもついには周りにもプラスの影響を及ぼせるように、つまり神様から受けた恵みを他者へ流せるようになりたいと願いつつ。私は本当にすべてにおいて、成長・進歩という面で遅いので、人にも迷惑をかける者ですので、自分には期待できないのですが、助けて下さる神様に期待していきたいと励まされました。
Apr. 8, 2013 メガ・チャーチの牧師の息子の自殺

「先生、お願いです。わたしのむすこを見てやってください。この子はわたしのひとりむすこですが、霊が取りつきますと、彼は急に叫び出すのです。それから、霊は彼をひきつけさせて、あわを吹かせ、彼を弱り果てさせて、なかなか出て行かないのです。 …イエスはこの汚れた霊をしかりつけ、その子供をいやして、父親にお渡しになった。人々はみな、神の偉大な力に非常に驚いた。」
ルカによる福音書9章38-43節

 先日、アメリカ、カリフォルニアの有名な牧師(オバマ大統領の就任式で祈祷を担当した方)の息子さんが自殺をされたという悲しいニュースがもたらされ、教会の友人たちの間でもショックでした。日曜の礼拝は他の牧師が代行して礼拝を執り行い、その牧師家族のために祈りがささげられたと、大きなメディアのニュースにもなっていました。息子さんはクリスチャンであっても、長年うつ病を患っていたとのこと、詳しくは知るに及びませんが, 有名な牧師の親を持ちながらも、彼がどのように追い詰められて、自ら命を絶ったのかと思うと、心が非常に痛みます。彼にとってこの世は生きるのがつらかった場所だったのでしょうか。日本でも毎年3万人の人が自殺するという異常な事態ですが、アメリカでも、日本ほどではないですが若い人が命を絶っている、特に最近取り上げられたのは、アメリカの軍隊の中での自殺率が非常に上がっているという統計が出ているそうです。
 医学的にも、完全に自殺の原因自体を治す方法は未だになく、非常に複雑な社会問題でもあります。私の観点は見えない力、つまり命を絶つように追い込む悪い霊的な存在の関わりを認めます。今日の読んだ個所のように、キリストは全ての上に権威、力を持たれますので、悪霊も追い出し、その人の苦しみを解放することが出来るお方です。真の神様からきている霊は人のもしくは自分の命を絶つ、自傷他害をするようには導かないからです。神様にとって人間は、キリストの命を犠牲にしてでも愛している大切な存在だと聖書に書いてあるからです。
 クリスチャンになったから、強くなるわけではないし、すべてが解決、心身とも健康で、いいことばかりおこるとは限りません。それは人間の作りだした神によるご利益宗教。もちろん、助けてだしてくださる神様ですが、私たちが思った通りに助け導くとは限らない。しかしながら、神様は私達がこの世に生きている限り、なんらかの苦しい試練とか、困難がおこることも許可される、それが”なぜなのか?”と私達にはわからないものです。 一つ分かることは、神様は一人一人を愛していて”最終的”には天国に導きたいと願っていること。その過程では様々な悲しいことが起こり、なぜ?と叫びたくなるようなことが 自分にも家族にもおこる、しかしそのなかで、神様より慰めを与えられ、わからなくても信頼し、任せていくことだと。
 特に、この牧師のご家族、また他の多くの家族を亡くされた遺族の方々のために、神様からの慰めが与えられ、心の傷がいやされるよう祈りたいと思います。また現在、うつ病等で苦しんでいる方々のためにも、すべての霊に対しても権威を持つ方、キリストにあって、悪い霊から解放されるようにも祈りつつ。
Apr. 6, 2013 証人

「そこでイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて言われた、「こう、しるしてある。キリストは苦しみを受けて、三日目に死人の中からよみがえる。そして、その名によって罪のゆるしを得させる悔改めが、エルサレムからはじまって、もろもろの国民に宣べ伝えられる。あなたがたは、これらの事の証人である。」 ルカによる福音書24章45-48節

 私が10代だった頃、教会のユース向けキャンプに参加しました。そこで、担当の先生より私に証しをしてくれないかと頼まれました。証しとはイエス・キリストをどのようにして信じたかを皆の前で短く話すことと子供ながらに理解していましたが、出来ませんと断りました。私はクリスチャンホームで小さい時から教会に行って聖書の話を聞いて、神様の存在は信じていても、イエス・キリストがよくわからなかったので話せなかったのでした。
 人が何かを信じる、何かが事実であることを証明するために証人が必要ですし、裁判でも証人喚問は必須です。裁判では通常、証人はその被告もしくは原告とどういう関係にあるか、何を見たか聞いたかを簡潔に証言するものです。
 先週はイースター(復活祭)でしたが、これはイエス・キリストが私たちの罪のために十字架に掛かって死なれ、3日目によみがえったことを祝う日ですが、そのイエス様が天へ帰られる前に弟子たちにこう言ったのです。「私の証人になってほしい」と。私が今まで聞いてきた教会でなされる証しは、自分の生い立ちや、苦労話し、以前の自分がどんなに悪かったか、しかしキリストを信じてこう変わりましたという話が多かったと思います。その人の話を通してキリストがどのように人生で働かれたかを聞くと、身近に感じられます。
 私は人前で語るとき、自分の話や考えを必要最小限にし、聖書で言っている通りに、福音のメッセージが極東の日本にまで届いて、キリストがどういう方で、今の私にも何をしてくれたかを話のメインに証しようと意識したいと願います。イエス様ご自身が、証ししてほしいといわれたポイントを外さないために、上からの聖霊の力を求めていきたいと思わされました。私の力や能力ではなく、証する力は上から与えられると約束を信じつつ。
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