資格はどこから
「さて、ステパノのことで起った迫害のために散らされた人々は、ピニケ、クプロ、アンテオケまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の者には、だれにも御言を語っていなかった。ところが、その中に数人のクプロ人とクレネ人がいて、アンテオケに行ってからギリシヤ人にも呼びかけ、主イエスを宣べ伝えていた。」使徒の働き11章21-20節
クラディス・アイルワードさんというイギリス人は、19世紀に生きた女性ですが、彼女は中国の宣教師になりたいという志が与えられましたが、資格がないということで(つまり神学校行っていない)どこも送ってくれる団体がありませんでした。家政婦だった彼女は貯金をためて、28歳の時に単身で中国の農村に行き、隊商宿を営みながらキリストの福音を宣べ伝えたという話を読みました。独りで、どこのサポートもなく、神だけが頼りで、あの時代に中国で宣教していたとは、どんなに苦労をしたことだろうと想像しました。
今日読んだ個所は、紀元一世紀のできたばかりのクリスチャン達の集会、いわゆる教会の人たちは、エルサレムで同胞のユダヤ人たちから迫害を受け、地方へ散らされて行ったというストーリでした。彼らは住み慣れた家を失い、他都市へ移り住みましたが、そこで単に悲嘆にくれるのではなく、逆にその土地の人たちにキリストの福音を伝えたのです。彼らはもちろん、神学校も出ていない普通の人々です(彼らはエルサレムにいた時、使徒たちから聖書を宮や家庭集会で教えられていましたが)。神学校の学位より、決定的に必要な信仰と神の御手があったので、人々は彼らの単純なメッセージを聞いて、イエス・キリストを信じたのです。現代でも、同じことが、中国の農村地域で、家の教会というクリスチャン達が、国家の公安からの迫害を受けながら、散らされては地方に逃げて行って、その場所でまた福音を伝えいていて、実は世界で一番クリスチャンが爆発的に増えているのは中国だというDVDを見たことがあります。使徒の働きは、2千年前のこの時代だけでなく、それ以降ずっと2千年間世界で続いているのです。
キリストを伝えるのに、神学校で得られる資格が必要だと聖書のどこにも書いてありません。行くべきだという考え方に反対はしませんし、そのように導かれるのであればすばらしい機会だと思います。一方、キリストを信じた人全ては、聖書のことばを生涯学ぶ必要はあり、教会で牧師・教師から聖書は学べます。その当時は神学校は存在しなかったし、印刷された聖書もない時代です。現代のようにITが発達し、聖書も自由に持てる時代であれば、もっと効果的に信者は増えるはずですが、そうではないところが、他の宣伝や宗教と異なるところでしょう。人の力ではなく、資格は神から来るとパウロ自身も言っています。
皆がキリストの証人として直接的間接的に、キリストを伝える使命があります。本当に信じている人はその使命を負担に思わず、キリストが十字架で死んでくれるほど自分を愛してくださったというその大きな犠牲を感謝して、この救いの知らせを知らない人に伝えたいと、自然に願うのです。それにはその人の能力とか性格とか関係なく、伝えようとすると必ず聖霊が助けて下さるということを私自身も他の人の話からも体験しています。これは神の力で可能であり、その時、聞かされた本人が応答しなかったしても、種が蒔かれていて、いつか信仰が与えられる時がくることを祈りつつ、期待したいと思います。